2016 IGC35 ケープタウン往復日記  3rd March 2019公開

(メモ帳より,当日のひらがなの多いなぐり書きの日記帳より書き起こす.基本的に原文ママ.[ ]はあとから挿入)

これとは別にPCに毎日つけていた日記はこちら.

2016_IGC35_PC_diary.html


旅程の写真日記は
http://yossi-okamoto.net/Old_HP/Futen/2016_IGC/Misc/2016_IGC35_Misc_1.html
http://yossi-okamoto.net/Old_HP/Futen/2016_IGC/Misc/2016_IGC35_Misc_3.html


このページは関空からはるかケープタウンまでの旅程の往復を中心に書きます.マイレージによる航空券発券で,中国の航空会社とエチオピア航空の2択しかなく,エチオピア航空を選択したことがこの波乱万丈の往復の旅程となります.詳しくは下記をどうぞ.

行きの旅程 KIX−
PVG-ADD-CPT
2016年8月25日[〜26日]
高3の授業を12h20mで終えて(休み時間をカット),12h39m寺田町発に乗る予定が3分遅れの表示で1本前の35m発に乗る.新今宮55m発の関空急行に余裕で間にあう.
1h45mにANAカウンタ(A13)でチェックイン.美人の彼女がていねいに応対してくれる(原文ママ).予約は全部通っていて3枚航空券を用意してく れるが座席の変更を頼む.後の通路側と,アジスアベバからの窓側を確保.あと色々荷物の重量とか,遅延も調べてくれる.めっちゃ親切で助かる.カウンタが 空いてたのも良かった.上海で荷物を一旦受け取り,もう一度あずけることに.

 あとすぐに保安検査と思ったが,まずMalawiのYvonneさんにみやげ.組紐のキーホルダ\800を買って再び4Fに上がるが,昼食を取っていな いのを思い出し,3Fの食堂街.ソジ坊と迷ったが杵屋にする.梅・桜えびの卵とじうどん.極めて美味.もう凍ったお茶が溶けないので水をお代わり3杯もら う.

15h5分前(14h55m)に4Fへ.検査場は昼食前と打って変わって混んでいる.入り口で航空券とチケットをチェックされる.しかしまもなく検査終了 (中はそれほど混んでいなかった).15番Gateは南検査場からは反対側で免税店の並びを越えてシャトルに乗る.シャトルを降りるといつものやや寂しい ビル.機体の到着が遅れ10以上遅れて出発.搭乗口で自分の航空券でブザーが鳴る.パスポート&チェックを行う.何事かと思うと満席でビジネスクラス (7K)になったと.これは幸先良し.さらにさっきカウンタでもらったチケットと新しいのを比べて座席が替わっているのをチェックしてくれる.用意されて いた新しい方をわたしてもらう.これで自分が乗って搭乗は終了.
2+1+2のビジネス最後尾.窓際に女性のとなり,ところが真ん中の列が空いているのでそちらに代わる.1列なのでとても快適.前のポケットまで足を伸ばしても届かない.時計を1時間戻す.今3h50m(JSTで4h50m).
 BBCのTVニュースがイタリアの地震only.M6.2だというが直下型でかなり建物が倒壊している.そのうち軽食スナック(あられ)+飲み物→みん なが選んでいるシャンパンを頼む.食べ終わったころ食事が出る.さすがにビジネスの食事→結構豪華.ちなみにテーブルは左のひじかけから出てくるしくみ. 飲み物は続けてシャンパン!!(結局×2)完食.途中でコーヒーのサービスがありパンを食べる.17h前着陸態勢15m前のアナウンス. Pudong International Airport.空港について,人の流れについて行くと(他に道はない),入国審査の所の列に並ぶ.入国の紙を取って前の外人にこれが必要かと聞くが,初 めてなのでわからないと言われる.すぐ後ろのカップルが一瞬日本語を喋ったので聞くと男性は日本人だった.JICAの青年海外協力隊でニジェールに行って いたという.奥さんの実家が上海でそこに立ち寄るという.現在はオカリナ奏者で岡島さんという.YouTubeに動画を出しているとか.奥さんのおばあさ んが80才でそのお祝いにオカリナを吹くという.アフリカの話を伺う.英国ほかのアングロサクソンが悪いという結論.入国審査はあっけない.入国書類もて きとうに書いて終了.滞在目的も書かなかった.この時,先のJICAの人を待って握手して別れる.[岡島さんの動画は https://www.youtube.com/watch?v=AvESobfI6Ek など.3rd Mar.2019].

 出ると,すぐ税関のゲートが待っているがほとんどみんなNo check.前の人がクーラーをstaffに尋ねられている.外に出るがどこに行くかがわからない.informationは割と親切でupstairと 言われる.上に出ると出国ロビーみたいな所.各社のカウンタが並んでいて案内に従いDのカウンタに行くが,Etiopiaの表示はない.あるのは Cathey他.一番左の人にチケットを見せてきくと,向かいの24-27に行けという.母国に帰るのか大きな荷物ですでに並んでいる列の後ろに並ぶ.半 時間位で人が来て,並びの列のテープをやりかえる.列を整頓されるが,後ろから母国人の団体の仲間に順番をとられる.今,列に座ってこれを書く.とにかく いつからcheck-inが始まるのかまるで分からない.まあ主発まで5h以上あるのでゆっくりと待つことにする.重い荷物で移動はしずらい.

20h05mけっこう列に人が並んでいるが,一向にcheck-inは始まる気配はない.床に座ってKindleの麻薬に関する本を読むが眠くなってくる.列は黒人+中国人でそれ以外がいない.

20h15mすぎから,窓口にスタッフが集まり始め,20h20mにはcheck-inが始まる.最初に並んでいたエチオピア人の団体がみんなデカい荷物 多数でcheck-inするのに時間がかかる.やっと自分の番になりカウンタ嬢にパスポートと搭乗券を渡す.きちんと英語が通じる.Cape Townまでと念を押す.その通りの荷札を見せてくれる.パスポートと新しい搭乗券を渡されたので,アジスアベバでの乗り換え時間を聞くとちゃんと調べて くれる.なかなかこの空港では珍しく愛想が良かった.
 空港の外に出ることも考えたが,出入り口にセキュリティのゲートがあるので止める.大きな行き先の掲示板には20h35m check-in開始と出ているが,10分前くらいから始めてくれたようだ.もう一度今度は出国手続き.ここで出国カードをかく必要があり,一度戻される が紙を書くとすぐに列に戻してもらえる.immigrantを出るとまた保安検査場.ここで茶のペットボトルを半分のんでとりあげられる.そこをくぐると もう搭乗番号の搭乗口に店がずらっと並んだ回廊となる.しかしFreeWifiのPWを教えてくれるというinfoはどこにもない.店で緑茶もどきを8元 で買うが,これがとんでもない代物.何と甘い味がついている.おまけに妙な香りがついている.これは大失敗.エビアンにしておけば良かった.1/3ほど飲 んですてることにしよう.しかし,全く日本語の聞こえないアウェイ空間.これほど日本人が居ないのも珍しい.欧米系やラテン系,中東系はけっこう多 い.TVで体育局の五輪系のニュースをやっている.Free InternetのPCもあるが,登録の□のスペースが出ていて使い方が全くわからない.

Boading Timeより20分位早く機内に案内される.待機中ひどい雨.どうもそれで待機中(着陸も含めて)の便があったのかTaxingの出発が遅れ,また Taxingも時々止まる.見ると着陸してくる飛行機や出発する便が積んでいる.ほぼ1h遅れてやっと離陸.その時までに雨は止んでいた.最初まっ暗にな り,このまま消橙かと思ったら1hくらいして電気が点いて夕食(1h頃).となりのおっさんがひざを広げてくるのをときどき押し戻す.

チキンは途中でなくなり,ビーフとトーフの2択でトーフを選ぶ.のみ物は地元ビール.トーフはまずまずの味.中華風のチンジャオロースみたな味.トーフは 高野豆腐風.コーヒーももらう.この後再び消橙でTVのいろんなチャンネルをためすが大したものなし.映画も見るものなし.アフリカ,インドなどローカル なものが多い.このあと睡眠3hくらい.あと断続的に〜5hほどトータルで眠る.

3h45m(ABBtime)
アラビア海上空.10時間あまりの飛行のうち,ほぼ4/5が過ぎようとする.黒人+中国人のアウェイの機内.床にねる人あれば声高に臨席としゃべりつづけ るパワフルな中国人とか.これまでの機内では余りめったにみかけなかったカオスな機内.5時間は眠れたか.けっこう起きている人が多い.

4h 途中2度トイレに行って長らく屈伸運動.脚の血行をとり戻す.Time to ADD 2:25
朝食のため少し明るい機内でこれを書く.このままだとトランスファー時間は充分とれそう.この後空路はソマリアの角の北辺に沿って飛ぶ予定.通路をはさん で左となりの地元のおじさんは席に座ったままでイスラムの礼拝をしている.口でつぶやきながらおじぎをする(例の白いcapをつけている.イラストは 略).今回の飛行は途中若干のturbulanceはあるものの非常に安定している.12000km -54℃ 970km/h 位.

あと2hのところで朝食.チンゲンサイ+ヌードルのいため物 ザーサイのつけ物みたいな袋をとなりの男がかけて食べているのでマネる.まあまあの味.2回 共ついてきた丸いパン(食材をはさむらしい)は食べず.左のオジさんはスマホに映したコーランをしきりによんでいる.ソマリア上空で夜が明け出すが地球の 自転に逆らって進むので仲々光が当たらない.ソマリアの写真をとりたいのだが.[着陸]1h前で夜明けの写真とる.
 250km手前でfinal approachのアナウンス.仏語,日本語のアナウンスも流れる.久し振りに日本語をきく.

6:20AM 無事landing.Taxingの途中でもう荷物を降ろす乗客を民族衣装のCAが止めている.さすがのアウェイ路線!!前の方でもう電話してる奴まで居る!![この乗客の荷物降ろし騒動はこのあと止まるまで数回も続く]

8月26日

7:00AM
 飛行機から出るとバスに乗り込む.写真をとる人がいたのでこちらも数枚とる.たしかこの国は[写真に]うるさいはず.バスで連れて来られたのはまたまた Transferのためwating建物.ただし,スタッフに聞いて搭乗口の入り口を入ってもう一度建物の上の階に戻るという設計.すごいアナロ グ.Gate5の待ち合わせ場所は下に1階降りる.ここは欧米人も多く,かなり客層が[今までと]異なる.もう一度表示を確かめ上の階に戻る.ET847 はMAPUTO行きとなっているが多分これ.Gate番号もまちがっていないが,一応念のためスタッフに聞くと下に降りろという[搭乗口はまちがってな かった].おりたときはトイレをすませた.臨時のプレハブだが思ったよりきれい.
空港に降りたときから外がかなり寒い.体感で23〜4℃くらい?上着がほしいほど.waitingも同じ.標高が高いのか?

今7h05mでBoadingの8h10m(出発は8h40m)まではかなりよゆうがある.他に行く客で一気に混んできた.

搭乗口は8h15mごろに開いてバスに乗り込む.けっこう混んでいてダブルブッキングもあるようだ.

9h45m 離陸.8h40mが当初の予定.

 その間一眠りした[意味不明].となりはケープタウン在住の黒人の彼女.髪をきれいにあんでいる.治安について聞く.夜は歩いてはいけないとのこと.ス ナックが出る.オレンジジュースを飲む.朝冷えて小用が近くなっていたのでコーヒーは控える[景色を見るために窓際に席を取った].リフトバレーらしき地 形もあるがはっきりしない.

 赤道近くでキリマンジェロとおぼしき巨大な山が雲をかぶっている.しかしこれは違うことがあとで分かる.やがて本文のキリマンジェロが左手奥にみえる.少し山頂が顔を出す.右手前にも山がもう1つ雲から頂きを出す.ここだけ左手窓際(40A)にして良かった.
 あとは雲がべったりはりついてきた.それでこれを書く.地図ではザンジバルとかダニエルサラームの横.
あと到着地(MUPUTA)まで3hを切る.

 このあと,食事が出る.ライス(長尺米)+魚,パンは夜食に残す

風景は相変わらずリフトらしきものもあまりないが線形の写真はとる.クルーガーNPだと思ったが実際はモザンビークの平原だった.MUPUTOに向かってループを描いて急激に降下する!けっこう乱暴な着地でとなりの嬢がワッと言うほど.
 ところがここでのアナウンスが分かりにくい.荷物を持って降りた人達が戻ってくる.我々(となりの嬢)はCAに聞いていたので降りない.ただ若干 delayがあるが[空港で待ってくれる運転手と]連絡は取れないので放っておく.NokiaはどうもSIMのアクティベートをしていないので使えない.Wifiも使えないし,連絡のとりようがない.とりあえずここで1時間待機.

 彼女と色々南アフリカ事情を話す.彼女はウガンダに仕事で行っていた帰りとか.自分が30hかけてるときいて驚いていた.インビクタスの話をすると喜ん でいた.ただムベキ,ズマの代になって黒人社会が分裂している.ケープタウンの若者は失業率が高くdrugに走る者が多いという.国としての曲がり角に来 ているという印象.あと自分に中国語はわかるのかと聞かれる.

結局何やかやで2h遅れることに16h30mの出発.これで着くのは18h35mとなる.当初の2h遅れ.宿には連絡できないので仕方ない.

これで関空出発より34h経過することになる.CapeTownは遠い あと500km!!45分.


[結局このあと,CapTown空港には無事着いたが,遅れたので,彼女の携帯で番号に電話をしてもらい迎えの業者と話す.運転手がプラカードを持って 待っててくれる.連絡が取れなくてすまないというが,あまり気にしていない様子.とても良い男で良かった.早速宿まで送ってもらい助かった.このあたりの詳細 や以降の顛末はPCの日記をどうぞ].

2016_IGC35_PC_diary.html 2016年08月27日 (土)の項をどうぞ


さて,次に帰りの旅程.CPT-ADD-PVG-KIX

2016年9月4日

朝6時に起床.夜2時前と4時ころの2回起きる.バゲッジの重さチェック.最後にねまきをわ忘れていてあわてる.→何とかjust23kg→カウンタでは 23.2kgだった.Yvonneに悪いけどお金は出せないとメール.あとでチェックするとちゃんと返事が来ていた.やはりキチンと断って良かった!!

朝食をとり,掃除のおばさんに今日出かけると礼を言う.部屋にも礼状と10ランド残す.あと写真をとったり,iPhoneからの写真転送で時間をつぶす.

朝8時15分check out
Meliamに50ランドを崩してもらって10ランドを彼女に.ドライバーは8:30ほぼon timeに来て乗る.料金は夏料金なので300ランド(これは到着時にドライバーに支払う.写真をとるとき,ウィンドーを下げてくれたりしたので Tip5+5のコイン)20,10は記念に持ち帰る.

今日は朝から雲1つなく快晴.きのうが今日であれば完ペキなのだが,テーブルマウンテンの写真や動画をとる.ドライバーが窓を下げてくれる.けっこう話好きのドライバーでケープタウンはいいところだろうと自慢する.

かなり走って空港到着(ケープフラットの真ん中).

さっそくカウンタを探す.31〜37の3つが空いている.ところが姉ちゃんの英語が皆目わからない.書いてもらう.100mlのliquidが入ってない かとか,LapTopとか危ないものが入ってないかとかきいているらしい.パスポートを渡して予約をかくにんしてもらうがスターアライアンスNoを言えと いう.知らないので予約書を見せるがかなり時間がかかって何とか席をかくほ.荷物はKIXまで直行だときく.これとりあえず良かった(行きとはとは異な る)[これが実はあとで大問題!カウンタ嬢の手違いで荷物が上海でバゲッジロストした原因!]

ところがあれほどADDまでは右側の窓.上海まではIsleサイドち言ってたのに,どちらも○Lで右窓側になっている.もう一度列に並び直して同じカウン タ嬢に変えてくれというが,チェックしたあとすべてBookingされているとのことでこれはけっこうしんどそうな座席となる.乗り込むときに空いていた ら頼んでみる.

セキュリティをくぐる前にこれを書く.今からセキュリティに出陣.9h50m.結局セキュリティのあと,みやげとかをみて,少し時間をつぶす.家にも電話.みやげは不要といわれる.通路でインドのシャンカルと会う.言葉をかわす.彼はADD経由でムンバイだそうだ.

11h30m頃 Boading始まる,席は白人女性のとなりの窓際.つばさがじゃま.そのうち替わろうと思うがどんどんこんでくる.
このとき隣の女性と話していた男の人の席と替わってあげる.仲々離陸のようすがないので水をもらいに行く.カップに入れてくれた.後の窓は積み込みのために開いている.日本では考えられない.

10分遅れで12:15離陸準備.それからTake Off.ゆっくりと加速してゆうがにTake Off.2+3+2の767-300 10000フィートに達してベルトサインが消えたのを見計らって後ろに空席を探しに行く.何かさっき空いていた席は つまっている.運良く一番後ろが空いているのをみつけCAに聞くとOKと言われる.カップを置き,かばんを取ってくる.

さっき窓際から代わってあげたご主人に良い席がみつかったと報告.
このポジションはナイス.右側一番奥で晴天のため,地形が素晴らしくよくみえる.途中かなり近く下を小型機が反対方向から一気にすれ違うのを見る.かなり のスピード.ほどなく食事がでる.時計をADDに合わせる.南アの中で方転して北東に進んでいたのが,ボツワナに入って北北東に変わる.このコースだと ちょうどリフトバレーが見えるはずだが---.
最後の席なので最初VEGを置かれるがチキンを頼むとHALALマークのなぜか魚が出た.魚と長尺米でお腹がへっていたので三角チーズ以外は完食.その後コーヒーが出る.
今ボツワナ上空でリフトバレー通過に備える.ちょうどルサカを目指している.客層はインド人が多い.中国人は少ない.CAは全員有色(カラード).インド 人はけっこううるさくあたりでしゃべっている.ここまでとてもconfortable.フロント嬢の仏頂面とはウラハラによいchoiceをした[と,この時は考えていた].

カリバダムま近,少し雲が出てくる.ルサカを通り過ぎたみたいでしだいに焼畑のHazeで地形が見えにくくなる.
機体はやや東に向き,South Luanga N.Pの方に進む.とうとう前のインド人はその前の席と立って話をしている.インテリっぽいがインド人パワーに圧倒される.SLNPのかなり西をどんてい るみたいで例の線状の山岳地形は全く見えない.むしろ平原に耕作地が点在する単調な風景.[ザンビアのこのあたりは地溝帯の延長でリフトバレーの一部が通っている.詳しくは筆者の2002年ザンビア編をどうぞ http://yossi-okamoto.net/Old_HP/Futen/Zambia/Zambia_2.html].

単調な風景に雲が出はじめてウトウトしているとキリマンジェロという声が聞こえて外をみるとちょうどキリマンジェロが遠くに見えた.
その後,見事な直線状地形が見えたが写真にとれたかどうか.このあたりがリフトバレーの白眉か.しかしほどなくぶ厚い雲で地形が見えなくなった.赤道をま もなく通過.地図に大きな山が3つほど見える所.(インド人がキリマンジェロの写真をとりに座席に入ってきたので代わってあげる.彼らのパワー恐るべし)

18h15m赤道を通過,このあと野さいサラダサンドイッチが出る.ほどなく着陸態勢に入るようだ.インド人の団体に圧倒されたが座席は快適だった!!
発展途上国特有のほの暗い街あかりが点在する中を降下.都市以外のあかりが少ない.道路もない.
そういえばケープタウンの空港に向かう道ぞいの左側に見たスラムの家には電柱があった!!
8000フィート弱,高度2322mで着地!!道路は渋滞している所もあった.
〜チャッチュンという発音が目立つエチオピア語.


このあと空港内で,今回はちゃんと席のあるフロアで時間待ち.しかしさすがに一流の臭いはしない.至る所に工事中があったりSmokingRoomの煙がけむっていたり.面白いのは店の価格が全部USドル建て.1h時間をつぶして意を決してセキュリティの列に並ぶ.

これから優に30分はかかる.どうも出発時刻で列を分けているみたいでギリギリの便の客は真中にバイパス門がある.

行きはなかったのに,帰りはずい分厳しいセキュリティチェック.←靴も脱がされる.

これが終わるとGate5は下のフロア.結局行きと同じ場所.Gateも同じ.おおぜいがもうGateがあくのを待っている.バスに乗り搭乗.
ここでラッキー.32Lで窓際のはずが,すでに地元青年が座っている.聞くとJつまり廊下側なのだが自分はこちらで良いという.つまり期せずしてろう下側 Isle sheetがGetできた!!何と言うラッキー.ほぼ満員であとで席かわるのも大変だった所.これで仏頂面のフロント嬢のもたらした災いはさけれた[とこのときは思っていた].

9/4−9/5

離陸してしばらくして眠りに落ちる.1h30m位経過.食事が配られ始める.Fish or BeefでBeefが置かれるが頼んでFishと換えてもらう.付け合せが違うようだが同じような内容.白ワインを頼む.食べると結構眠る.断続的に5h 位.途中小用に一度行く.ろう下側なので気兼ねがないのが良い.
あと2hあまりのところで朝食が出る.egg or noodleでeggを選ぶ.卵は固いが許容はんい.フルーツのかんずめの内容がパックで出る.あと甘そうなケーキはkeep.着くのが5h頃で出発が 6h20mだからあまり余裕がない.たぶんまた入出国だろうから,よけいに時間がかかるのが心配.再度チェックインしないとボーディングパスがない.

となりの若い女性はガーナ人だとわかる.出入国カードを書く.となりの女性はガーナから来て[中国の]大学に入学するという←家族4人つれだって来ているとのこと.

無事16h着陸.ところがここからひともんちゃく.何かコンゴかアンゴラの客がどうのこうので一旦通路に出た客にもう一度席に戻るようアナウンス.ところ がまたこれをきかない客が通路にさっとうのカオス状態.タクシーイングの途中でも立つは荷物は降ろすはの,さすがにカオス.

さてここからが小説のような話.

ベルトサインが切れて今度は本当にみんた立つが仲々進まない.そのうちアナウンスがあってアンゴラとコンゴの人のPasportがどうのこうのというアナウンスでもう一度席に戻れという.

仕方なく自分の回りは席に戻るが,まだ通路の人もいる.けっこう時間がかかって,何か係員が乗り込んできて件の乗客を探している.
そうこうあってようやく動き出すが出口に次のバスが来ていない.ようやくバスが来てまたこれが着くまでが長い.さすがにimmigrantが心配になって きて,また入国の列にすごい人数が並んでいる.いくつかの入り口があって右側に並べばよかったのだが一番多い列にすなおに並んでしまう.途中横のレーンに スキップ.どんどん時間が経って5h30mを回ったので思い切って係の人に時間がないというと意外とすんなり,すぐに入国審査のところに入れてもらえる.

これでもう大丈夫と出口を出てひたすらANAのカウンタを聞いてくが誰もいない.チェックが終わっている.さらに別の人に聞くと案内してくれる.ANAの ちゃんとした別のカウンタがあって事情を説明.そうするとバゲッジを取って来いと言われ,いやKIXまでだというと全部荷物は一旦ピックアップだという,またあの仏頂面がやらかした!
小顔の日本語のできる[現地]係員が特別ゲートから荷物置場にセキュリティチェックのあとすぐ入れるようになっている.荷物を探すがどこにもない.荷物のカウンタと か電話で連絡をとりあうスタッフがどうもアジスアベバで積み込んでないちか言い出す.あの仏頂面のアホ.どないなってんねん!とりあえず事故レポートにサ インさせられて関空でANAのスタッフに話してくれと言われて,ボーディングパスを出しもらうためにまた出口を出て,もう一度2Fまで戻る.一緒に走って くれた小顔のシャオニャンに本当に感謝.

このあと,すぐ作ってくれたボーディングパスを持って入国審査,これは特別何とかの列に並ばせてもらう.搭乗ルートのかくにんとか言って全行程の紙をみせ る.すぐOK.そしてまたセキュリティチェック.ここで件のANA現地スタッフの女性にありがとうと握手して別れる.PCを出す.ベルトを持っていくのを忘れ そうになる.86番と聞いていたがこれがまた遠い.ベルトを持ちながら走って,もう6:20を過ぎてしまっている.搭乗券にはG84と書いてあったので G84の人に聞くとG86だという.また走る.男の人が待っていて大丈夫ですよ.そろそろ搭乗案内だといわれ拍子抜け.あとのアナウンスで到着遅れで Delayしたとか.自分のせいではないのでほっとした.喉がからからなのでその後始まった搭乗案内で乗り込む,がわずかに10人たらずしかいない!! 乗客 がこれに乗り込み.天国 とりあえず水をもらう.生き返った.
あとはlost bagageの件をどうするか.みやげ,発表原稿,ハンマー,サンプル,着替え,様々な領収書や確か現金?これがとりあえずのケンアン.

2h少しと短いフライトであるがちゃんとした食事が出る.ごはんと中華風のいため物(choiceはなかった.人数が少ないから)ビールを頼むとプレミアムモルツの350が出てくる.さすがにANA.これ最後のフライトをANAにしておいて本当に良かった.

というところで手帳のメモは終了.しかし更に帰国後もロストバゲッジを巡ってと,健康状態を巡って,さらにもうひと波乱もふた波乱もあるのだが,それはまたいずれ.にさせていただきます[以下にエピローグで記述,11th Mar.2019].


2016 IGC ケープタウン日記(エピローグ編) 11th Mar. 2019 8回めの東北震災忌に記す.

実は帰国後もうひと波乱あった.それを記す.

とりあえず着陸後,荷物受け取り所であらかじめ連絡されていた私の乗った某日本の航空会社の関係者からバゲジロストの顛末の事情を聞かれる.詳細に説明. 自宅に戻るが数日何も連絡なし.その数日後の水曜日だったかの夕刻,突然岸和田の電話番号で携帯に電話が入っていた.おそるおそる電話番号を調べると,中 国国際航空(CA)の事務所の番号.これはさてはと思い.その番号に電話.自分のロストした荷物が中国国際航空の便で今関空に着いた所で,今日中であれば 直接手渡すことができるという話.明日になれば再度本国に送り返すということであわてて,車で娘と取りに行く.1時間半かかって関空到着.さてこれからが ひと悶着.私が自分の荷物を受け取るには空港内部の到着荷物カウンタに行かなくてはならない.しかし私は今日は自宅から来ているのでセキュリティ上,中に入れ てもらえない.つまり到着便の乗客ではない.警備の入り口で当然係の人が首を縦に振らないのを,CAの担当の人が上司を呼んできてくれて長い粘り強いNegosiation. やっと私が中に入れてもらえて,無事自分の荷物を回収.本当にCAの関空担当者の女性とその上司の方にはお世話になった.しかしこの間私が乗った某日本のキャリアは自 分のところの仕事ではないと,一切の手伝いを拒否.とても官僚的な対応に終始した.結局自分の搭乗とは全く無関係の,たまたま私のロストした荷物だけを載せたにすぎない CAの職員の丁寧かつ献身的な対応で私の荷物が帰ってきた.今後はエチオピア航空ではなくCAに乗ろうと強く心に決めた.しかし上海空港の現地スタッフの献身 的な対応に比べて,関空での某キャリアの対応は全く感心しない.何か外国航空会社であるCAを見下しているようなニュアンスさえ感じた.もちろんこれは私の個人的な感じとり方 ではあるが.その後,ロストの原因だった件のエチオピア航空の成田の事務所にガソリン代,高速代などを請求してこの件は一件落着.

しかし,まだ問題がもう1つ発生した.その週の木曜日だったか高3の授業の途中で何か,身体がかゆく自分の研究室に戻って調べると左肩のあたりから胸にか けてじんましんのような発疹が出ている.実はこの旅の前後で関空職員が「はしか」に集団で感染するニュースがあったので,すわこれは「はしか?」と心配に なりソッコーで保健室へ.保健室の先生も首をかしげている.早速その日の授業は打ち切り,夕刻自宅近所の病院へ.病院の医者も首をかしげている.とりあえ ず検査をするということで検査結果は月曜日に出るということになり,その日まで自宅待機.金曜日は休講にした.月曜日の朝に電話するようにといわれてい て,電話すると「はしか」ではないというお墨付きが下り,その日の授業に何とか間に合ったという顛末.帰ってからもただでは済まなかったとても数奇な旅の 一部始終でした.


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