ザンビア見聞録(Part2) 5th-14th Aug. 2002    24.Aug.2002記す

10th.Aug.
 せっかくザンビア来たのだからと旅行計画が練られるあいだ,友人の大阪の生物教師A氏と首都ルサカの探検をいろいろしました.中心部の市場まで歩いて 行って土産をみたり,博物館に行ったり,瀟洒なカフェでコーヒーを飲んだりと,この国の首都の雰囲気を少しは味わうことができました.しかし,本当にアジ ア人,とりわけ日本人旅行者には会わない国である.市場近くの街頭で人を待つ間1人でしばらく立っていたが,肌の色が白いのは私だけだった.そしてそれが 極めて当然に見えてくるともうアフリカに同化し始めている自分に気づく.「アフリカ病」の危ない兆しを感じとっていた.
 
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今 回南ア,ザンビア通じて飲んだビールの種類は良く似ている.ほとんどが南ア産だからでKastle,Mosi,Windhooch(ナミビア産)などどれ も日本人には飲みやすいビールでした.スーパーで約K3000(Kはクワチャという単位)約70円くらいか.ビールが安いのが助かる. 首都ルサカは1500mの標高にあるので,クルーガー国立公園(標高200-400m)で買ったプリングルスはご覧のとおり膨れています.スーパーにはこの他南アフリカの製品,およびNestle製品が多かった.東南アジアに多い日本製食品はほとんど見かけなかった.
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ル サカに1999年に出来たという南ア資本の高級ショッピングセンターMunda Hillの駐車場と建物.とても広く銀行,専門店とコーナンのような日用品店それにShopriteという南アで有名なスーパーマーケットがテナントとし て入っている.要所には警官が銃や機関銃(例のAK47突撃銃)を持って警戒しているので,白人や邦人,それに旅行者はかならずここに買い出しにくる. マ ンダヒルズの専門店にはこの店の他,宝石店,銀行,ブティック,本屋(2軒),各種食べ物のチェーン店がならびます.TOYOTAやMITUSBISHI の最新のRV車で買い物に来る人々の服装もNYや東京の街頭と変わらず,ここにいるとアフリカの発展途上国にいることを本当に忘れてしまいそうです.しか し,ここを一歩でるとその交差点には金をせびる哀れなストリートチルドレンに出くわしてしまいます.
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マンダヒルの直ぐ側にある交差点の珍しい形の歩道橋.ちゃんと車椅子用の傾斜道も用意されています. こちらは市内中心部の古い商店街の一角.段々と治安が悪くなり寂れてきているそうです.しかし結構人々は信号を守っています.
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古 い商店の窓やショーウィンドウ,扉には頑丈な鉄格子が嵌められています.両替屋や土産物屋もあるのですが,最初は入るのにちょっと勇気がいりました.そう 言えば,G氏宅で夜寝ている時に何度か遠くで発砲の音を聞いた.威嚇なのか酒を飲んでいるのか.本当に強盗なのかは分らなかったが,家の中にまで鉄格子が あるのは,襲われたとき最後の砦にするためだと教わった. 庶民の足ミニバスの向こうに見えるのは古くからある庶民のた めの市場です.歩くのはちょっと身の危険を感じるほどだったので,G氏に案内された時もカメラとパスポートはスーパーのビニール袋に隠して,探検した所で す.食品,雑貨品,電気部品(電熱器の渦巻き型のヒーター)など所狭しと屋台に置いて商売しています.白人を全くみかけない場所です.
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USAの援助団体の建物です.そういえば先ほどの市場を見学しているとき,ビンラディンのTシャツを着た男に会いました.ザンビアの人々はアメリカをあまり好きではないそうです. 市内中心部にイタリアの援助で作られた高層ビルがあります.ところがイタリアらしく,ピサの斜塔のようにだんだん傾いてきているという話をききました.
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これはモスクです.大半はキリスト教徒なのですが,ごく少数イスラムの人がいるそうです.また街には結構インド系の人達も目にします.しかしインド料理の店はなぜかありません.料理の得意でない地方の人の移民が多いからだとG氏の奥さんは言われていたような. 鉄 道線路を越える高架橋からジャカランダの紫の花が咲き始めているのを目にしました.これが咲く9月が花のもっともきれいな春になるそうです.ちなみにこの 鉄道.近距離の通勤用に買い入れた2両の機関車はすぐに事故を起こして使用不能となり,それ以来,たまに走る長距離列車以外動いてないそうです.
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近くの民芸品村で太鼓などの民芸品を売ってます.他にきりんなど動物の木彫りや半田細工などがあります.ここで値切って買った太鼓は空港の免税品店の半額でした.平日だったので観光客より売り子の方が多いような−−−. 店 のそばにいた愛くるしい幼女です.こちらの方になぜかなついてきます.思わずカメラを向けました.しかしこの国の年齢別人口比はピラミッドよりまだ細い エッフェル塔のような形をしています.若年人口が上にいくほどどんどん減っていくのです.HIVや病気が関係していると思われます.
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昼食にイタリア料理店に行きました.ピザとワインが本当に美味しくて安かったです.どこの国でもイタリア料理が一番という結論がでました.その他中華料理店も幾つもあります.ただ日本料理店はなかったような. ザンビアの紙幣クワチャです.Kw1000だけはちょっと汚れたものしかなかったので写ってません.Kw10000も1枚しかなかったので裏はなしです.表には国鳥Fish Eagleの精悍な姿,裏には国内名所と独立戦士の像が描かれています.独立時には1Kw=1US$だったのが,現在は銅価格の下落で約1/4500に価値が低下してしまいました.銅鉱山にたよる発展途上国の現状が貨幣価値からもよくわかります.

11th-13th Aug.
 やっと旅行の段取りができて,恐ろしく忙しい旅にでます.今日は1日というかほとんど半日でチャーター機でビクトリア滝に往復して,その後午後の便でサ ウスルアンガ国立公園に同じく別のチャーター機ででかけます.実は昨日ビクトリア滝に行くはずが直前に乗るはずの飛行機が片方のエンジンがブレークダウン どこかの空港で修理しているとのこと.何かいやな予感.別の飛行機を用意してくれと地元の旅行社に掛け合って急遽予定が1日遅れの今日に代わりました.
 
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早朝,待ち合わせ場所の空港はずれの格納庫に到着しても誰もいません.人を探しているとき,ようやくチャーター機の操縦士と整備士がやってきました.
彼らの準備を待つ間に,ちょっとそのあたりの飛行機を撮っておきました.
無人の格納庫のなかの,これは単発の上翼機.何となく第2次大戦時の戦闘機に似た機体.
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結局このビーチクラフト機に乗り込むことに.小さいなあ.6人乗りですがパイロットを乗せると5人しか乗れません.結局G氏の奥さんは乗れずにここで待つことに.旅行社では乗れると言ってたのですが−−. チャーター機でしかもこんな小型機は初めてなので,本当に心配でしたがザンビア人の老パイロットの腕は大したもので,極めてスムーズな離陸でした.ルサカの街が上空から良く見えます.
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1時間あまりのフライトでやっと見えてきた滝の上空を飛んでくれました.中央の滝から水煙がさかんに上がっています.このあとビクトリアの空港に着陸しました. 安全で快適なフライトを楽しませてくれたパイロット氏.昨日の飛行機のbreak downから続いた不安を吹き飛ばしてくれた.そしてさすがにチャーター機では金属探知機もX線も関係なかった.
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向こう岸はジンバブエ側ですが,水の落下する狭い廊下は煙って見えません.やはりこの滝は2カ国を往復して見ないと全貌が見れません. 至る所にこのような虹がかかって,霧のような水滴でカメラも気を付けないと濡れてしまいます.
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逆方向ザンビア側の滝です.観光客が結構引きも切らずにやってきます. 下流側廊下に架かるのはバンジージャンプで有名な橋ですが,残念ながらこれはジンバブエ側の施設です.
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このあとビクトリアの博物館に寄りました.滝の地形模型です.滝の下流側が深いジグザグの廊下になっているのがよく分かります.我々が見たのは図の滝の右側のみです.ガイド嬢がずっとついて説明してくれました. もっとも危険な動物という有名な展示です.左側のミラーに映る動物はもうおわかりですね.

さて,午後ルサカに帰るやいなや,次のサウスルアンガ国立公園行きの飛行機が待機していました.こちらは若い白人のベッカム似のパイロット.休憩も つかのま,また貸し切りの飛行機に乗ります.今度は8人乗りと6人が乗るにはちょっとだけ余裕があります.待っていたG君の奥さんも乗り込みました.わず か2泊3日の旅行費用は飛行機,宿泊,サファリなどすべて込みで1人420US$,ザンビアの公務員の年収分の出費になります.これでもずいぶん安い方と か.ザンビアはホテル代など結構旅行料金が高いところです.G君がレジデントなので,国立公園などの入園料が安くなりました.まだ住民と旅行者の2重料金 が至る所に残っています.ちなみに朝からのビクトリア滝往復の費用はチャーター費,昼食,現地経費すべて込みで1人300US$.チャーター機費用が少し 高かった.まあ,ザンビアに着いてからの宿泊費食費がただ同然なので,これくらいの出費は仕方がないところです.結果的にこの数日の旅行は本当に快適で優 雅なアフリカの休日を経験できました.
 
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今度の飛行機は8人乗り.少し大きくて朝乗ったのより機体も新しい感じ.でも飛行機に乗ってばかりで少々くたびれてきました.この飛行機は後ろの開いている所から乗り込みます. 1時間以上の北東への飛行ののち見えてきたサウスルアンガ川は大地溝帯に繋がる低地をゆったりと蛇行して流れる.三日月湖がきれいに見えます.サウスルアンガ国立公園はこの川沿いの低地に広がる自然公園です.
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サウスルアンガの低地に入る前に,大地溝帯の左の端のリッジが見えました.直前にはリッジに平行な亀裂が何本も走っていて(帰りの写真参照),大地溝帯の裂け目を実感できます.写真の右側にサウスルアンガの低地が拡がります.(2005.10.05写真2枚追加)
サウスルアンガの低地を上空からみたところです.大地溝帯の中はこのように低地となり,川が蛇行しているので,水を飲みに集まる動物達の楽園となります.まもなくムフエ国際空港に着陸です.
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今回の宿はMfuweロッジと いい,広大な敷地にこんなコテージが点在しています.単独で予約すると1泊300US$もする宿です.すべてそれぞれ動物の名で部屋を呼んでいます.我々 のこの部屋はCivetという名でした.ビールの付けやルームキーのやり取りはすべてこの名前で行います.国立公園内にあるロッジはここともう1つのみで す.電気ポットはありますが電話はありません.小屋の外には動物が出没するので注意せよと注意書きが玄関に貼ってあります. 部 屋の中は落ち着いた作りできれい.右手は蚊帳を吊った寝室です.蚊帳の中には電気蚊取りがセットしてありました.一応このあたりはマラリアの汚染地帯で す.奥に風呂,トイレと広い作りです.左の戸を開けると,河原を見下ろすデッキとなり,水を飲みに来る動物や鳥を1日中観察できる素晴らしいサイトです. 部屋のサイン帳には日本語と英語で感想を書きました.署名をみると結構イタリア人が多いようです.
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動物の密度が高いのがこのサウスルアンガ国立公園の特徴です.乾期の河原を中心に様々な動物を凄い密度でみることができます.アフリカのサファリの最後の聖域だと言われているそうです.写真はおなじみのインパラの群れ. 象の大群が水を飲みに出てきました.息を飲んで眺めています.向こうもこちらをさかんに気にしている様子です.子供の象を中にはさんで守っているのはさすがです.指さしているガイドはザンビア育ちの若い白人で,毎日4時間近いサファリは4WDの醍醐味を味わえました.
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木からぶらさがる大きな実はその名もソーセージツリー.ビロード肉厚の紅くきれいな花は地上に落ちると鹿の仲間インパラの大好物となります. ライオンのおすそ分けに殺到するハゲタカの群れ.遠くからも見えるこの群れはライオンを探す絶好の標的になります.この時も2匹の雌ライオンがいぼ猪の肉をむさぼり食べていました.
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低地に低い丘が点在して,そこにはいかにも古そうな花崗岩や
片麻岩がありました.(2005.10.5 写真4枚追加)
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こちらは名前を知らない鳥.エメラルド色の原色のきれいな小さな鳥もみかけたのですが,写真は取れませんでした.
木陰に隠れているのはお馴染みのシマウマですね.
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一緒に行ったA氏は「生(なま)きりん」を写真に撮って来いと家族から厳命を受けていました.探し回ったあげくやっと見つけた「生きりん」にいたく感動していました. 同 じく今度は体格のいいA氏の天敵となった有名なツエツエバエです.たかってきてところかまわずチクッと刺すので本当にいやな奴です.羽根が平行なのが特 徴.アフリカ眠り病という病気を媒介するそうです.私は日本に帰りついた日に16時間寝たので,家族からこの病気に間違えられそうになりました.
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バッファローの凄い群れに見とれているとき,見事なサウスルアンガの夕暮れに遭遇しました.ほとんど雨の降らない乾期の冬は本当に毎日晴れの良い天気続きでした. ロッジの夕食は夜のサファリが終わった8時半から.スープ,メインディッシュ共に大変美味でした.この夜はサファリから帰ってくるとロッジの直ぐ前で2匹の雌ライオンが水を飲みにきて,ちょっと緊張した夜でした.もちろん夜の外出は厳禁でした.
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この夜は写真のイタリア人のモータージャーナリストと色々と話しました.彼はこのロッジに長く滞在して,仕事を手伝う傍ら,アフリカ紹介本のイタリア語訳の仕事をしているそうです.となりはお世話になりどおしだったG君の奥さんと向こうは子供さん達. 低地に網のように流れる乾期のルアンガ川の中にはたくさんのクロコダイル,ヒッポ(かば)が隠れています.雨季にはこのあたり一面が水没するそうです.
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最 終日の午前のサファリで野外バーベキューをしてくれました.着いてすぐ車から少し離れた場所に用を足しに行って帰ってくるとガイドにしかられました.勝手 に歩かないようにと.ここはライオン危険地帯なのでスタッフが銃を持って護衛してくれているのは後になって知りました. 野 外といってもこの豪華さで本当に感激でした.これがこの日の昼食となり,あとはルサカへ帰るだけです.アフリカというと何を食べるのかと心配する人が多い のですが,ほとんどこのような英国風の朝食やバッフェ料理で,日本人の口にも結構合います.ただ私はインスタントラーメンやうどんが食べられないのが唯一 つらかったことです.
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一応インターナショナルと書いてあるMfuwe空港.帰る便は到着が1時間も遅れました.マラウィなどへの国際便があるようです. 平行なリッジが延々連なる光景はこの地方が大地溝帯の延長上であることを実感させてくれました(行きの写真と比べてください).
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チャーター機の操縦席と客室はご覧のような狭さ.機の重心を中心にして首を振るような運動が小型機の飛行の特徴でした.雲の下に入るとよく揺れました. このサバンナと紅い道の風景とも明日でもうお別れです.夕暮れ迫るルサカに向けて有視界飛行のこの機は急ぎました.着陸時にA氏はまた暴れていました.どうやら天敵の例のハエがどこからか機内に潜り込んだらしく,それをやっつけるのに必死だったようです.
さて,このようにして私の最初のアフリカ旅行は終わりを告げました.しかし紅い大地と人なつっこい人々を永遠に忘れることが出来なくなりました.滞在中何 かとお世話になったG君とその奥方に感謝して,そしていずれまたこの地を訪れることを約束して,とりあえず今夜はペンを置きましょう.



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