<Diary with linux, geoscienceguitar & others> 2016.Aug. Updated on 3rd March 2019
「備忘録/日記」(自分のためのメモですが何かの参考に,背景はラニーニャもどき?酷暑or冷夏 モードに変身)

この日記は現地でPCに書かれたものです.あとで出てきたメモ帳からの往復の旅程(飛行機中心日記)はこちら

2016_IGC35_memo_diary.html


2016年09月03日 (土) 待ちに待ったテーブル山登山.しかし今日もケーブルは止まるは,風が強いは で,まいりました.
   宿を8時に出て,少し早足でCTICCまで.下の道に出ると大勢のマラソンというかジョギングの人たちの列!何か市民マラソンみたいなものか.よく見る とある範囲を往復しているみたい.どうみても運動と無縁みたいなおなかの出た太った女性が走っているのに驚く.この町の健康志向をみたような気が する.しかしその街区を抜けるとむしろ,出勤の人がいない分やや不気味ないつもの道.できるだけ人の多い方を歩くようにして,何とかCTICC到 着.N氏が別の巡検で待っている.Hさんもいた.トルコの彼もいる.そんなこんなで出発.一行は10人.韓国の先生と学生さんの3人組.院の学生 さんは日本語を少ししゃべる.中学のときに習ったという.ケーブルの前を通過するが今日もclosedの表示.風がやはり強い.頂上に雲がかかり テーブルクロス山になっている.ケーブル乗り場をかなり通り過ぎた登山口から上るみたい.そこから上って最初に崖錐とクリフのちょうど境目みたい なところが下層と上層(ケープ半島層群)の不整合があるみたいで,そこで見学.大きく上層の下部が張り出したあたり.下層はリプルマークが良く見 える浅い海の堆積物だという.上層は前にも説明のあったFluvialのコーツアイトだという.ちょうど2種類のリップルマークが重なる横で三葉 虫の這い跡だというのを見せてくれる.これは地質関係以外には絶対教えないとか.みんなで写真を撮る.さらに少し上がったあたりの今度は上層の下 部のあたりの裏側にやはり三葉虫の這い跡がついている.こちらはかなり鮮明な様子.しかし三葉虫自体の化石は別の場所のブラックシェールからしか 出ないという.Hさんは本当かなと少し首をかしげていた.ここから上りがきつくなって,クリフとクリフの切れ目の崖錐部分をジグザグに上っていく がこれがなかなか辛い.しかもリーダーは結構速い速度で上っていく.何とかついていくが立つと立ちくらみがしそうなほど息と鼓動が上がる.池での トレーニングもなかなか追いつけない.途中高校生の遠足らしい団体に何度か会う.賑やかな連中である.歌を歌って降りてくる子たちもいる.これで そろそろ後ろに道をゆずろうかと弱音が出たところで小休止.これを幾つか繰り返すうち,雲の中に入り,さらに角度が急になる.ほとんどふきさらし のような風が霧雨みたいな雲と一緒に吹き降りてくる.わずか1000mあまりの山とは思えないすさまじい天気と傾斜である.キレットのV字が近く に見えてくるとやっと峠近くになり,ほごなく峠に到着.なかなかのアルバイト.ここからケーブルの小屋とは反対側に歩く.ケープタウンからみて左 の方向になる.下界は霧でまったく見えない.ふきさらしの水平な高原状の地形をどんどん歩いていく.ところどころ道標があり,Dangerous と書いてある道をたどる.かなり進んで目的地に到着.Tilliteの見られる露頭.礫を含んだ砂岩がゆるくスランピング状に褶曲している.氷河 関連の堆積物で,パーミアンではなく,オルドビシアンだという.ディアミクタイトとティライトの違いは,前者の方がやや広い意味で,後者がややせ まい意味でつかわれると言っていた.そして暖かくなると海面が上がって,ブラックシェールが溜まるのだという.この作用はCO2により加速化され るから,ティライトとブラックシェールの関係は周期的な気候変動を表しているという.ただHさんは普通の河)川の砂岩にみえるという.スランピン グとは違って褶曲が上下両側ともに曲がっているのが確かに奇妙な構造だという.ただリーダーも氷河主義者とそうでない論争があると言っていた.こ こからさらに三角点みたいな石積があるところを目指す.頂上というより,ただの石を積んだ標識みたいなのが残されているところ.しかしこの標識は 19世紀に南アで最初に三角点測量や地殻変動の測定が行われた場所らしい.銘板がはめられている.小便に少し離れたところに移動した人がいたの で,自分も同様にする.ここまで朝からとても小用を我慢していた.ここから来た道と少し違う道をまたひたすら,戻る.こおろぎが鳴いたり,きれい なお花畑もあって見飽きないが,やはり時折強く風が吹く.どうも風は強くなっているみたい.やっと峠に戻って記念写真このあと,ひたすら来たルー トを降りる.吹き降ろす風の勢いが増してどうも雲が朝より下に下がっている気がする.しかし何とか雲の下に出る.そこからは見慣れたケープタウン の景色が見事に見える.やはり雲があるのは頂上直下だけみたい.コーツアイトのクリフの下のあたりに降りたが,来しなのコースとはここからは異な るみたい.直登ではなく直降りする.やがてバス道に出るとそこでバスが待っている.降りたところに小さな池があってこの谷を降りてきた水が溜まっ ている.バスに乗りほどなくケーブル乗り場.ケーブルが止まって閑散としているが赤バスが次から次からくる.トイレ休憩.そののちどんどんバスは 市内に降りてきてCTICCに到着.みんなとあいさつや握手をして別れる.Hさんは写真を撮りに行くという.いつもとは違うV&WFに向 かう方向の陸橋を渡る.そこからぐるりと回ると最初の日に高速を越えるために選んだ迂回路に出た.車道の下をくぐって山側に歩くとほどな く,HomeCenterみたいな店の前に出る.ここからひたすら歩いて宿まで.メリエムが居たので,使わなくなった油を渡して,明日の車の時刻 をチェックしてもらって(8:30),ついでに一緒に写真を撮ってもらう.彼女だけの写真も撮る.そのあとチップ用の小銭を作るため に,WoolFoodまで.感想フルーツみたいなのを5個買って,やっと10ランド紙幣と小銭を作る.あと部屋でバッゲジの重さを測って何とか 20kg弱.これであと服を入れても23kg以内に収まりそうなので,置いておくつもりだった資料を全部入れて再度測ると今度は20kg台になる が大丈夫.あと残りものの夕食を取って今日は終了.

2016年09月02日 (金) 1日観光にどっぷり.N氏と市内観光の赤バス,青バスに乗って堪能.しかし風 強くケーブルはとまるは,船は予約フル.
   宿の人(白人のおばさん)にバスのチケットの買い方を聞いて,朝9時に宿を出て,久々に歩いて一旦V&WFへ.バスの乗り場は少し戻った水族館 の前あたり.バスに乗ろうとする人がいるのでチケットはどうしたと聞くと,すぐ手間にあった赤い小屋のチケット売り場を教えてくれた.ここで 190ランドでチケット買うがレシートが出るだけでチケットらしきものがない.Which is ticket?と聞くと店員が2人で大笑い.レシートに印刷されているのがチケットというお粗末.何かカードのようなものを想像していた.これで待ってい た赤いバスに乗って運転手にCTICCに行く?と聞くと乗れという.しかしCTICCの前で右折して曲がったところで女の人の乗せる.こちらは てっきりどこかで曲がってCTICCに戻ると思ってたらロングストリートをどんどん南へ上がっていく.これ違うなと思い,次止まったところで下し てもらうが,どうも運転手もたよりない.そこから歩いてしこたま戻ってN氏との待ち合わせにはゆうゆう間に合う.すぐに建物外の停留所へ.ここで 係の人から意外なことを聞く.どうも赤バス,青バスともに車体は赤なのだ!赤,青の区別はバスの運転窓のところに書かれているということ.これわ かりにくい.説明の人もごめんわかりにくいと言っていた.つまり自分が乗ってきたのは赤バスではなく,青バスだったという.ここで間違わずに赤バ スに乗る.するとロングストリートを南上して,途中で西に降りてシグナルヒルの方に少し向かい,そこからテーブル山の山すそをななめに上っていく コース.バスの2階の最後部に乗ったので視界はいいし,写真やら動画やらの撮り放題.頂上は雲に覆われているものの,断崖が迫ってきて心が躍る. ところがややあってケーブルの乗り場に到着.しかし何か様子がおかしい.チケットを買おうと係の人の横の看板を見るとClosedと書いてある. ほかの人が案内の人に聞いているのをみると現在止まっているとのこと.しかし我々がそれでは午後は動くかと聞くと今日は止まったままだと答える. これは仕方ないと,あきらめて待っていたバスに再度乗り込み,裏側のシーポイントを目指す.バスは山を越えて太平洋が見える側に出ると天気はまし になるが,やはり頂上は雲がかかっている.シーポイントの表示が見えたので,バスを降りる.これあとでわかったがさるホテル前の停留所.ここから 海側に道を渡ったところが,偶然日曜日に行った海岸露頭であった.ここの海岸のトイレで小用をして,写真を撮る.今度はLumixが活躍.そこか ら高級住宅が海側の急な斜面に立ち並ぶところを通って,再びV&WFに戻ってくる.サッカー場も見えた.ここで昼ごろとなり,ケーブルが だめならロベン島があるということでそちらに向かうが,カウンタで今日はブッキングフルで次は日曜日と言われ万事窮す.しかなく上の階の展示をみ たり,外に出て写真を撮ったりする.次に構内クルーズ船が見えたのでその乗り場に向かう.これ結局水族館の前の端の方にあったが,風が強く出航取 りやめとか.今日はことごとくこの種のツキがない.しかたなく土産物屋に寄ったり,南極船を撮りにいったり,その横のホテルに入ったりしたあと, 新たな奥の方のモールの覗くがあまりめぼしい店がない.結局元のモールの回転車が見える2Fにマクドとそれに隣り合う,レストランを見つける.メ ニューを見るとフィッシュ&チップスとすしがあるのでここに入る.結構混んでいる.奥の方の一応回転車が見えるテーブル.すしとFISHTIPS コンボセットみたいなのを1つずつ選びシェアする.ビールは生を注文.しかしAMSTELは瓶のみだった.ゆっくりと食事.すしもまあまあ.魚は 白身でおいしかった.エビの皮をむいてグラタンみたいに焼いたのもついている.10%のチップを入れてもしめて1人120ランドと格安.朝バスで 自分がN氏に100ランド札を2枚貸したので,今回は彼がカードで支払い.店員がカードを入れる機械を持ってきてチップを含む会計をボタンで押し て会計するシステム.ちなみに会計の表紙にはビルと書いてある.
 食事後,ちょっとみやげをみて,今度は青バスに乗る.ちょうど出発のバスがあったのでうそれに乗る.今度は例のCTICCの前を右折したあと, ロングストリートをずっと直進,そこから高速道路に入るがこれが渋滞している.ゆっくり渋滞を抜けて,右折してHoutBay方面へ.日本語の チャンネルで解説を聞くと参考になる.複雑なケープタウンの歴史などがよくわかる.もともとこのあたりに住んでいた有色人種を追い出して白人が住 んだことや,もっと昔はコイサン族が住んでいたところをオランダ人が進出して結局土地を奪い取った過程など.そして複雑な人種構成で,それぞれの 種族が分かれて住んでいた話とか.やがてブリキの小屋がたちならぶ,ImizamoYethuを通る.ブリキのような屋根の粗末な小屋が並ぶスラ ムのような場所だが,これがどうも観光地として発展しているみたい.あたりはほとんど白人を見ない地域である.そこからHoutBayに寄って, 朝通った道の方に合流.あとは朝とほぼ同じコースだが,西日があたりだいむまた印象が異なる.再び高騰する住宅地をぬけて,元のV&WF に戻る.そこで少しみやげを見て,N氏と別れた.そのあと少し土産物やを散策して,いつもの道を徒歩で宿まで帰る.6時には夕食を開始.ドンベイ と残り物のハムと卵を炒める.パンは昨夜朝拝借したもの.これでだいぶ取り置きが少なくなってきた.ビールもあと2本まで来た.夜に入って一段と 風が強まったみたいで風の音が強い.今回の旅行で初めての風.まさにWindyCapeTownの本領発揮というところ.Lumixの露出がおか しくなっていたのをネットでマニュアルを探して直す.本当に世話の焼けるカメラである.

2016年09月01日 (木) やっと観光モード.しかしまだ地学教育のセッションに参加.まじめの4つほど 聞いてあとはN氏と土産の買い物とか.
   朝は6時半に起床.昨夜が10時前だったので,8時間は寝たことになる.ただ途中2度起きるパターンは変わらず.朝エチオピア航空のサイトでWeb チェックインしようとおもうとシステムエラーでカウンタに行ってくれという表示.相変わらず.これでたぶん帰る日は8時すぎ出発がマストとなる. 日曜日なのでちょっと時間的に苦しいな.支払いを金曜日に終えておくという手もあるが.ということでちょっとフロントに聞いてみることにした.朝 食は8時ころに行くとがらがら,給仕の人が今日はみんな早く出ていったよという答え.朝食を取っているとしだいに晴れてきた.今日はいつものオム レツではなく,サンライズブレクファーストという英国風のベーコン,卵焼き,マッシュルームの炒め物のメニューにする.これもなかなかよく卵と ベーコンを焼いたパンにはさんで食べる.
 そのあと,フロントにいつものマリアムはいなくて(この2日休みなのか),白人のおばさん(経営者?)に支払をお願いする.サーティフィケー ションを頼むがインボイスしかできないといわれる.あとで考えると今回宿泊は自費だから関係なかったが.トータルの支払いは342(今 回)+306(事前)=648ランド.しめて4万6千円ほど.9泊だから,1泊5000円でこの贅沢はなかなかたまらない.N氏などのはずれ宿の 話を聞くとこの宿を選んで絶対に正解だった.とりあえずサンプルの重さを測ると1.6kgだった.スーツケースが16kgだったから,まだ同じく らいの量は余裕で入りそう.ただ少し資料分の重さが加算されるので,まあサンプルは3~4kgくらいまでだと思う.そうするとまだ3個は余裕で採 れるが.
 9時半すぎに会場に徒歩で出かけることにする.一応原稿とかの整理にPCを持っていくことにする.震源地図が2枚余ったのも誰かにあげるために 持っていく.いつもの道を歩いて,30分で到着.ざっとEXHIBITION会場を見てまわって,Universuty of SAの首からの吊り紐をもらう.10時半から2つだけ地学教育のセッションを除く.しかし昨夜のガーナのSeimologistを探すがいない.震源地図 をあげようと持ってきているのだが.最初の発表はオーストラリアの人で,昨日もあったギガピクセルの露頭写真やら,3Dモデルやらのオーストラリ ア版.かなりの場所で整備されているみたい.この話は面白かったが,全部こんな風にバーチャルになるのもどうかなとは思う.会場からは予算どれく らいかけたのかという質問とか.次の人はスイスの人でアイスランドとの文化比較みたいな話.まったく正反対の文化だという.スイスは3世代後の孫 たちに木を植えるが,アイスランドは基本採集文化,略奪文化でその日暮らしの哲学だとか.この比較は面白かった.この日記を書いているテーブルの 向かい側に白人の若い研究者がいるが,ときどき自分のMacを置いてどこかに出かけていく.結構大丈夫なものなのだと感心.あまりこんな人は見か けないが.12時になったので一旦終了.
 昼食をテーブルでとるが先客のO先生を紹介される.T大をかなり前に退職されているが重鎮みたい.あ.とナミビアの人と南アの人たちと昼食.O 先生は日本語で話そうとするが我々は英語を使う.ナミビアの人と日本では昼食は出さないという話になって,なぜかと聞かれる.宗教上の問題とか, 文科省の役人が食事を認めないとかの話.日本は宗教は何でも受け入れつというのを聞いていて驚いている.このあとN氏とウオーターフロントに土産 の買い出し.道を探しながら北上.何とか回転遊具に到着.Pick'n Payで土産の歌詞を買う.あと途中の土産物屋でアフリカの土産など.また歩いて帰って何とか2時40分に到着.Sさんの15時からの講演に間に合う.こ のあと,みんなで夕食を食べにロングストリートまで.ほかの人のホテルに立ち寄って部屋を見せてもらう.さすがに4つ星の1万円の宿はバスタブも あって,おまけにSさんは部屋に戻ると「セキュリティボックスが空いていたので閉めました」という置手紙まで入っていたという.いまどきの南ア事 情を知るうえでとても参考になる情報.先進国として発展していることがよくわかる.今日配られた学会本が重い.自分だけリュックをしょってうろう ろ.ロングストリートは河原町風の車道の両側と1本駅側にある歩行者天国を通る.普通に通るには治安はよさそうだが,やはり新開発のウオーターフ ロントとは雰囲気が全然違って,ややヨハネスバーグに似た感じか.ウオーターフロントは完全にヨーロッパの街である.かなりホテルに戻ったところ で1軒レストランによるが,ビールがないという.トルコ料理の見せてHALALみたい.しかたなく隣のピザの店に入る.ここは完全なイタリアレス トランで,しかし前菜やらピザやらパスタをシェアして,ビールは地酒の49ランドのものを2杯飲む.しめて225ランドほど.2000円の安い夕 食となった.そこからTAXIで帰るが,何か料金が判然としない.会社に問い合わせているみたいだが,ラチが空かないのでいつもは40~50だよ と言って,50の釣りをもらった.これで本日は終了.シャワーを浴びてワインを少し飲んで眠る.

2016年08月31日 (水) 発表の日,オーラルはまず9割の出来.結構アドリブで色々と喋れた.ポスター は熱心はアフリカのSeismologistと出会う.
   朝7時前に起床.まだ少しジェットラグが残り,4時間寝て一度起きるパターンは変わらない.朝からPPTをさわって8時前に朝食.このところルーチンの オムレツを頼むが,オニオンと言ったのになぜかネギがはいっている不思議.TAXIを呼んでもらうが,同じように9時に予約している人がいると聞 く(というかそのときはそう聞こえた).これが自分の間違いで,フロントの年輩の白人のおばさん(初めて見る)は,自分が友達とTAXIをシェア すると間違ったみたい.9時前に来てタクシーが来てからもひたすら待つが誰も来ない.9時10分すぎに誰もこないけどとおばさんにいうとあなたの 友達の部屋はと聞くので,これは間違われていたと気付く.1人でTAXIの運ちゃんにわびを言って乗る.珍しくメーターを使うTAXIで近道を 通ってCTICCまでわずか34ランドほど.40で良かったが実直そうな無口の初老の運転手だったし,彼をホテル前で20分も待たせたので,50 を払う.喜んでくれた.でもいつもは結構いい加減な運転手が50を取っている.彼のような実直な人にこそきちんとした対価を払いたい.会場でまず ポスターを貼る.持っていった両面テープが役にたつ.貼り終わってしばらくすると最初のオーディアンスが熱心に見てくれている.聞くとマークピー ターソンというUSGSのHazardの偉いさんみたい.さっそく名前を書いてもらう.プログラムの自分のオーラルにもしるしをしてくれている. こんな人に見てもらえてとても光栄.さらに今度はタイの人が来る.どうもタイで地震の観測網に携わっているらしい.資料を渡す.自分は12月にタ イに行くんだというと,相手の学校はと聞くので,プリンセスチュラボンだと答える.なるほどと言っていた.そのあと時間があるので再度USBの修 正稿をさわったあと,スピーカーズルームの学生に,入れてもらう.もう 彼女たちと見知った顔になり,また来たのねなどと冗談を言ってもらえる.昨日もスライドをチェックするとき,動画を興味深そうに見てくれていた. その後地学教育のセッションを少し覗くが例のクリスが仕切っている.もう班に分かれる時間もないので空いた席に座る.見知った顔がずらり.あと仕 切っている女史は時間に厳格.1秒たりとも延長を許さないという雰囲気.まあこれが世界的には普通なのかも知れないが.
 みんなで昼食を食べる.やはり日本人で集まってしまうがまあ仕方ないか.午後最初のセッションのN氏の発表で最初にサンキューチェアマンと言お うとして司会が女性だったのに気づき慌てる様子が気の毒.彼はこのつまづきていいたいことの6割しか言えなかったと反省しきり.その後とんとん拍 子に厳しい時間管理で進んでいよいよ休憩をはさんで自分のセッションとなる.最初の話は聞くが,結局小用に出た後,最後の原稿チェックと練習を兼 ねて15分休憩.1つ前の」発表から部屋に戻る.アルゼンチンの通称ペペさん.地震のモデルを教材に使う話.具体的な話は後半に出てきてスリン キーはS波には使わない方がいいとかの話.ここで度胸がついてできて一気に自分の話をしゃべる.唯一日本人は一般にhi-Specが好きなのだと いう話だけを最初の緊張から飛ばしてしまう.あとは結構こちらも驚くほど流暢にアドリブやジョークが出たのでまあまあの発表だった.最後の方が少 し準備不足だった感が残るが,モニターの時間があと1分25秒くらいで終了.一つ質問が出てブロックの重りはなぜ重いスチールにしたのかという質 問で.いや重いと動きにくいからと答え,木のブロックでもいいよと答えると質問の彼女(このセッションで鼻をでかい音でかんでばかりいた人)がそ うよね錘を載せればいいよねと返してくれて一見落着.質問のこの1件のみで時間内に終了.あと残りの発表は余裕で見れた.キャンセルで空いた時間 に最後の発表を入れたりして,最後の発表はその1つ前のものでこれがなかなか面白かった.高解像カメラで露頭の写真をそれこそ全景から,粒の詳細 まで拡大できる10億ピクセル規模の写真や3Dモデルにしたシッカーポイントの露頭紹介などとても興味深かった.セッションが終わってすぐにポス ターのコアタイムが始まった.オーラルでのアナウンスを聞いた人が少し群がるように見に来てくれた.オーストリアザルツブルグのジオクロノロジー の人,アフリカのカメルーンやガーナのアクラから来たSeismologistなどアフリカの専門家と話せたのが良かった.カメルーンの彼は日本 人とJICAのプロジェクトでニオス湖のモニタリングをしている話や,その噴火予知に自分の地震計を活用したいと熱っぽく語った.ガーナの女性は 同じくアウトリーチにこれを使いたいと言っていた.彼女は1990年代につくばで地震学を学ぶプロジェクトに参加していて日本を知っていると言っ ていた.あと何人かと話すが,震源地図を渡し忘れていることに気付く.仕方なく日本からの参加者のSさんとKさんにも渡す.kさんからは中学生へ の出前授業で小麦粉の断層実験をやったときに,中学生が「この実験を作った人は天才だ」と喜んでくれたという話をわざわざ伝えていただいた.その あとビールを有料(29ランド)で買って,お客を待つがぴったり来なくなった.Hさんが様子を見に来ただけ.そんなこんなですぐに7時が来て撤 収.入り口の外で待っているTAXIに乗り込む.運転手に地図を渡して行先を告げるがあまり漠然としない.おまけに彼はいくら払うとか聞いてく る.いつもは30から40だよというと50欲しいという.内心それでいいのかとほっとする.彼に再度道やら目印やらを告げる.woodworth を知っているみたいでほどなく宿に到着.昨日の残りのピザとかシーフードヌードルとか昨夜の残りもので夕食を済ましてこれを書く.やっとリアルな 時間に日記が追いついてきた.今宵はここまで.

2016年08月30日 (火) 昼まで原稿をさわる.昨日は部屋の移動を忘れて自宅まで電話される羽目に.家 人の心配することしきり.
   昨日,マルタの女優に声を掛けられたのを知った娘が,朝から怖い表情でSkypeしてくる.絶対に騙されているから連絡を取るなと.いかがわしい罠か麻薬 組織が ブツを箱場させるために仕掛けたのに決まっているとTVの例をあげて迫ってくる.そういわれればあまりに出会いが偶然で仕組まれたような気がして くるから不思議.しかしもうメールを送ったあとだから仕方がない.おまけに,一旦学会に出たが,家から朝国際電話の不審な電話があったと至急連絡 しろという.仕方なく電話番号を知っているのは宿しかなさそうなので一旦宿に帰ることにする.宿についてメリアンに聞くとそうだ電話したよとい う.逆に自分が部屋の変更があったのを忘れていたのを指摘され,しまったと思いさっそく変更になったアパートメントに案内してくれる.食堂から1 分歩くと言っていたが,結構近くつぐ裏で同じ敷地.ただし一旦扉をくぐる形.部屋の扉も外にあってこれをくぐると中庭まである.ちょうどヨハネス の宿みたいな感じか.白い部屋の玄関を開けて入るともう,全部自分の荷物を移してくれている.いやーやってしまった.自分の発表やら娘の電話やら で混乱していた.詫びを言ってシーツを替えてくれていた女の人に1$札でチップを渡す.とても喜んでくれたが,自分のミスなのでもっと支払っても よいケース.ちゃんと何かいや衣装棚の中身とか,食べ物とかサンプルとかを小分けして,朝食用のテーブルの上に置いてくれていた.この宿の親切さ に感謝.それと国際電話の件も解決して一段落.女性の件はまだ残るが,午後再び会場に行って色々と回る.しかしこの日は朝から色々とミスって何か いやな気分のままで就寝.
 当然ジェットラグで目覚めた今朝,ダメ元でググってみる と,これが驚き.くだんの女性はちゃんとWikipediaに出ている本物のマルタの女優であることが判明.娘にSkypeで伝えるがまだ信用していな い.こち らも確かに100%信用するのは外国にいるから危険だとは思うが.
 この日は発表前日なので,昼ごろに歩いて出かける.もう歩く道も慣れてしまった.昼間はほとんど危険を感じない.あまり変は人もいない.会場近 くのホテルに泊まったN氏はしょっちゅう変な人に付きまとわれているというが.一抹の疑念も晴れておだやかにPPTの準備にかかる.午後とりあえ ず完成したバージョンをスピーカールームという部屋でPCに入れてもらう.アルバイトの学生が大勢いて作業をしてくれる.とりあえずクリックで動 画が動くのを確認.しかし実際の操作はテクニシャンに聞いてくれと言われる.とりあえずこれらの作業も終わったので気が楽になり,帰りしなに油と かビールとかピザとカットフルーツを買って帰る.近くのWoodworthにはワインがあるのにビールがノンアルしかなく,一度戻ってちょっと遠 いSPARまで出直し.ところがここでもスーパーの側にはビールが置いていなくて,外の同じ建物のリカーショップにビールがあると店員が教えてく れる.ここで缶のビールを探して購入.この国は基本ビールは瓶なので缶を探すのにちょっと苦労する.また大概ほかの国で目にするギネスも見当たら ない.ハイネケンはある.BlackLabelという5.5%のもの6本入りを買ってかえる.宿の部屋は広くなってとてもこれが5000円ほどの 部屋だとは思えない.門から中庭があって居間,トイレ+シャワー,寝室を3部屋にわかれている.とりあえずまだPPTをさらに修正.少し早めの 10時に就寝.疑念が晴れてかなり落ち着いた日.

2016年08月28日 (日) 慌ただしい日々が流れて,せっかく書いた日記が亡くなる.でもまあよかったか 少し調子に乗っていたところもある.
   昨日書いた日記が保存せずに消したみたいで,失われる.結構嬉しい記憶を書いていたのだが,少し思い直して結局消えた方がよいのかとも思う(これ後 述).昨日の巡検は朝,TAXIでCTICCへ.今回は50ランドなので,昨日の運ちゃんもぼっていないことがわかる.受付で日本人の人に声をか けられる.N大を退職したというNさんという.向こうはこっちを知っているのだけど,自分は知らない.あと前に研究室を訪問したHさんがいたので 声を掛ける.彼とは巡検中いろいろと話て勉強になる.次に展望台までバスで上るが朝霧のために展望はほとんそ見え ず,disapointment.その後シーポイントの花崗岩と堆積岩類のコンタクトを見る.ここは単純な境界ではなく,何層にも入り組んだ重層 的な構造.ケープタウン花崗岩の大きな斑晶に驚く.日本人の研究者も一様に驚いている.Hさんがこの大きな結晶の原因をJhonに聞いている.彼 の本を最初にもらったのだが,これKindleで買っていたものだった.本物の本の方がずっと良かった.さらにここでも昨日と同じで小用が近くな るので海岸にあるトイレだけは済ます.このあたりは別荘地なのか本当にすばらしい家やマンションが目につく.とてもスラムのイメージがない.ここ からずっと南に下っていよいよ希望峰を目指す.途中テーブルマウンテン層群のがけが切り立つところやら,を通る.切通しのところで,次のスポッ ト.見事なクロスラミナを見せる地層が見える.ここは赤い砂岩が下の方をしめて上にいくほど黄色くなる.その理由の説明があった.あと赤は酸化鉄 で黒はマンガンだという.Hさんとこんな場所は日本ではすぐにコンクリで覆われて露頭が見えなくなると話す.ときどき南アの暴走族が爆音で通りす ぎていく.日本でほぼ絶滅したかに見える族がこの国ではまだ生きている.
 昼食はバスの中でとりながら,南へ南へ.隣は韓 国の研究所の研究者で英語が達者なので助かる.色々話して彼に途中で窓際を譲る.彼らは5人くらいのメンバーで来ているようだ.いつも大体固まっている. 日本人は逆にばらばら なのが面白い.希望峰は結構遠く時間がかかる.やっと下の駐車場に到着.ここから遊歩道を見上げるように登っていく.まず希望峰(ケープオブホープ,教 義),そして 灯台のある方(ケープポイント)に水平な稜線を海岸線に沿って歩く.中間地点にビーチが見える.片道10分と聞いてみんな止める.白い砂岩でオーソコーツ アイトだと 日本の先生がいう.手取層群では礫は一杯見れるが,地層でみたのは初めてだと彼がいる.クリスタルがついたものを女性がリュックに入れているのを 見て,かけらを1つ持って帰る.道はきれいに階段などで整備されている.天気も朝の霧が嘘の用に晴れてとてもよい天気.また上りになってほどな く,駐車場のトイレに到着.Hさんは同じ巡検に2日連続で参加してからと,今回はバスでここまで上がってきていた.あとここには立派な土 産物屋が立っている.希望峰には立て看板一つなかった.韓国の女性が灯台に上ったとかで出発が遅れる.さらに一旦バスは発車したものの,途中でま た出発点に戻る.どうも一人出発点に置き忘れたらしい.女性が乗ってくる.これで一路今度はペンギンの場所へ.今度は東海岸で住宅街に囲まれたよ うな道にバスが止まる.住宅街を横切って海岸まで歩く.きれいな住宅街ではあるが,やはり電流の線が塀の上を囲んでいる.最初海岸にペンギンは数 すくなかって何かしょぼいなと思ってたら奥の方にはおおぜい居た.結構な観光地で日本人のカップルの声が聞こえた.今回の旅行で初めて自分たち以 外のグループの日本語を聞くような気がする.H先生とペンギンを見る.中に人に近寄ってくるのは餌をもらったことのあるペンギンだろうと2人で納 得する.餌は当然与えないようにと注意書きがある.そういえば希望峰のあたりで,韓国の彼に注意書きのバブーンって何と聞かれたので,これを教え る.土産物やの前で中学生くらいの女の子たちがたぶん客寄せのダンスを踊っている.みんなカメラを構える.5時ころになってやっとバスはケープタ ウンに帰る.もっと時間がかかると思っていたが,45分くらいで6時前に到着.そのままレセプションとなるが,みんなはプリントアウトを用意して いるが,自分はパスポートも何もない.当たって砕けろで窓口のスタッフにSONYBANKのカードを示してこの名だというと,それであさっり通っ た.さすがに南半球だけのことはある.
 このあとぐるぐるとアイスブレーカー会場を回るがなかなか地学教育セッションの彼らに会えない.3周くらいしてあきらめていると,H先生に出く わしたので腰を下ろして食べるものを取に行って日本人が少ないなというようなよもやま話.そのうちH先生の知り合いが来たので自分は再度メンバー を探してあるくと,何度も見ていたコーナーのテーブルに4人を発見.これまで経緯を説明.その後8時を過ぎたので,会場を辞して客待ちのTAXI で宿に帰る.今回は60ランドとふっかけてくるが夜なので仕方ない.

2016年08月27日 (土) 32時間を越える人生最大の長旅でケープタウンに到着.飛行機の遅延など苦労 はあったがまずは幸先のよいスタート.
  ジェットラグで,朝3時半に起きてこれを書く.4時間半くらいの睡眠.現地人と中国人しか乗っていない,とんでもなくアウェイ状態のエチオピア航空もアジ スアベバからは欧米人も増えてやや普通の便に近づく.ところがこいつが直接便ではなく,モザンビークのMaputoというの空港経由であることが わかる.みんな掲示板のアナウンスはMaputoしかなく,搭乗口では結構混乱している.自分はこれケープタウンに行くのと聞いた欧米人がいたの でその聞かれた人に聞いて確認した.また乗ってからは東アフリカ地溝帯の上を飛ぶのだが,チェックインのときに左側を選択してちょっと失敗だった かも知れない.というのは,キリマンジャロは見えたものの,肝心のリフトバレーの様子は右側の方が良かったかも知れない.しかし途中雲も覆ったの でそれほどよいコンディションではなかったかも知れない.(今,明後日の巡検の段取りを見るために,自宅メールのダウンロードに着手するがこれが 例によってとてつもなく時間がかかる)
 その後無事,Maputo着.ところがここから遅延が始まる.まず乗客が降りるのかどうかで混乱.結局半分くらいの乗客が降りたが中国人のなか には間違っておりて戻って機内にまた戻ってくる人が続出.何か大声で文句というか何かを言いながら戻ってきた.このあたりの案内がいまいち連携不 足.この航空会社の特徴か.自分は隣のウガンダ人(とあとでわかる.この時はケープタウン在住の南アフリカ人だと思っていた)のサラー嬢(この名 もあとイミグラントのときに教えてもらう)に話して彼女がCAに聞いてくれて乗ったままだと知る.このあと2時間の遅延が始まる.ゆっくり油を入 れているなと思ったら案の定.しかもそのアナウンスが英語と中国語だけなので彼女がいないとよくわからなかった.その後定刻より2時間以上遅れて 出発.途中だんだんと暮れなずむ夕日の中に浮かび上がるドラケンスバーグやレソト周辺のメサ,ケスタ地形をみながらだんだんと迎えがちゃんとでき るか心配になる.やっとケープタウン空港に着いて,心配を察した彼女が自分の携帯を使ってくれと差し出す.かばんの底からやっと連絡先のメールを 探しだし彼女に電話をかけてもらう.どうも宿の女性スタッフみたいな人がでて大丈夫.名前のプラカードを持った案内が立っているよと言ってくれて ウエルカムと言ってくれたので一安心.イミグラントに向かう途中の回廊で彼女との2ショットを地撮りする.このあともイミグラントの列が長くのび る.その列でしこたま名刺を探すがみつからず(あとでスーツケース内から発見).メールアドレスを書いた手書きのメモを彼女に渡す.そのあと,彼 女は妹に電話をしていたみたいだが,彼女のアドレスと電話番号を書いたメモをくれる.やっとイミグラントの窓口.とても調子のいい係員でまるでマ リオみたいな男.何できたのかとか,IGCかとか言う.地質のなかで何が専門だと聞くので地震学だと答える.イタリアの地震が気の毒だと彼がいう ので,日本は地震国だと返す.そんなこんなでとてもにこにこと判を押してくれる.これだけでこの国がよそものにとても親切だということがわかる.
 その後,荷物の受け取りだが,やはりポスターが出てこない.掛の女性に聞くと長いものはあっちだと教えてくれる.その場所でポスターも無事発見 (というところで朝の6時にしかけたスマホのアラームが鳴る.現在やっと6月10日のメールを受信中).税関の申告ナシの部屋を無事通り抜けて, 出口を出ると少し離れたところに自分の名前のカードを発見.ドライバーは人の好さそうな30歳くらいの浅黒い人で,だいぶ待ったかと聞くがそれほ ど怒っていない様子.ビールを買いたいのだけどと言ってもこの時間だとスーパーは閉まっているという(実はホテル近くのスーパーはまだ空いていた が).駐車場でたぶん2時間分の99ランドを支払っていたのを見て,これはチップをはずむ必要があると腹をくくる.色々としゃべるのが好きで五輪 の話とかワールドカップの話で盛り上がるがいまいち発音が聞き取れず,また自分の発音も何度も彼が聞き返す状態.今日はサッカーのある日だとスタ ジアムのあたりを説明してくれる.またCTICCもここだと案内しくれる.午後8時を過ぎて車は多いがあまり人が歩いていないことがわかる.やは り夜はこの周辺の立ち歩きはやめた方がよさそうな雰囲気.ところがホテルに近づいてウオーターフロントのあたりは路上駐車やら歩道を歩く人でとて も混んでいる.スーパーもやっていてこれは午後7時くらいまでなら大丈夫かと思ってします.
ほどなく地図で調べていた道どおりに進んで宿に到着.いくら払わないといけないかと聞いて250だというので,300ランド渡してあとは遅くなっ たお詫びという.とても喜んでくれた.駐車代金がかかったのでそれくらいは常識の範囲内かと.入り口を聞くが当然閉まっている.そうすると車の駐 車場所を案内していたスタッフが鍵を開けてくれる.あとで行くと言ってくれたようなのだがあまり聞き取れず,受付を探すがまったくわからない.し かたなくバーベキュー(ブライ)で盛り上がっていた団体の人に受付ってどこと聞くが要領を得ない.うろうろするがわからず,再度今度は男の人に聞 くとここだと案内されるがすでに建物の玄関は閉まっている.そうこうするうちにくだんの彼が戻ってきて,スーツケースを弾いて部屋まで案内してく れる.建物は一度ではとても覚えくれない複雑なつくりになっている.やっと部屋の鍵を開けてもらったがやはり荷物を持ってもらったので,チップを 渡そうとする10ランド札しかない.仕方なくそれを渡すととても喜んでくれて,再度鍵の開け方とか部屋の使い方,受付の場所などを説明してくれ る.鍵は部屋が2重,それとスタッフの建物と敷地入り口の鍵で全部で4つ.(ここで朝6時半近くになったので一旦中断)
 朝7時に見に行っても,誰もスタッフが来ていない.同じようにスタッフを探してTAXIを予約しようとするおばさんに会う.しかし約款をよく見 ると休日は8時からとなっている.仕方なく朝食を取る.これも食堂スタッフが注文を聞きにくるが,時間がないのでパンとコーヒーのみ.8時に来た スタッフにすぐにTAXIを読んでもらう.ロベン島へのフェリー乗り場の少し手前までで,最初50と言ったが40しかもってないのを見せるとそれ でいいといい40を渡すがちょっと高い?ついでにあった1$札をチップで渡す.
少し歩いてフェリー乗り場.ずっと前から待っている人にGeologyかと声をかけられる.USGSの古地震学にも関係する人みたい.8時40分 くらいにいかにもという格好のみんながやってくる.9時出発のはずがケープタウン時間とかで遅れる.20分の予定であるが,最初見えていた町が遠 ざかると海霧にかくされて何も見えなくなる.仕方なくほかのアジアの参加者だった中国の夫妻と話す.最初韓国系かと思っていたが西安の大学人だっ た.夫の方はまったく英語を解さない.ほどなくロベン島に到着.寒くて小用が近くなる.カナダの氷河あとの巡検と同じ状態.バスに乗り込む前に小 用.さらにこれは途中でもう一度立ち寄る羽目に.最初にSTOP1で海のそばの礫の海岸.次にSTOP2でまたトイレに行く.案内は島の案内の兄 ちゃんと巡検案内書を書いたJhon氏.(ここからは,30日に記す) 途中に学校がある,もう一人の案内者がこの由来を説明.どうも犯罪者のな かの高校生の年齢のものを入れたらしいが詳しい説明は忘れる.
 このあと,STOP3はテーブルマウンテンが遠望できる礫海岸のサイト.この島は岩石もそうだが,植物が冬だというのに咲き乱れている.しかも 日本では花やで売っている花が.STOP4が石切り場.みごとは砂岩の堆積構造が見える.クロスラミナやりっぷるマークなど.ところがここで Lumixが大失敗.多重露出モードになっていて,ゴーストの入った写真となった.パイライトの鉱染は還元性の海底を示すとガイドブックにある. しかしこの時点でガイドブックをどこかに(たぶんトイレ)に置き忘れていて手ぶらで説明を聞く.STOP5,6の説明は忘れる.6は通っただけか も知れない.STOP8は重要で石灰岩の石切り場.ここでマンデラ達が昼食を取り,話をしたらしい.マンデラが平和賞を取ったあと,国連のチーム がここを訪れて云々という話があった.広場にその石が積んであった.
 12時出航予定がケープタウン時間で大幅に遅れる.12時20分ごろに出発.船の中で無くした冊子をリーダーにもう一度もらう.礼をいう.彼は 名刺を渡して何でも質問があればメールしてくれという.船の舷側でトルコの人の写真をiPhoneで撮る.彼はもうメモリを使い果たしたと言って いたので.彼にはその写真をあとでメールで送る.船が桟橋について,とりあえずみんなと辞した後,ウオーターフロントに出かける.とても混んでい て,帰りに道がわからないので,ぐるっと左側に迂回して何とか宿にたどり着く.ここでやっとMelienが来ていたので,チェックインができる. 部屋の移動が月曜日だとその日に説明を受けるがこれを忘れていて,彼女があとで当日自宅まで
電話をする羽目になる.
 この日の午後は重要だった.とりあえず昼食もとらずに,メリアンに聞いた近道をずっと歩いていくと,大きな道の交差点のところで,女性がスト リートチルドレンに何かパックに入った食べ物を渡している.その横を通り過ぎて,しばらく歩くと前を歩いていた彼女が別の交差点で右から曲がって きた車をよけるのに苦労してスケアリといったのでそうだよねみたいなことを言うと,彼女は日本人かと聞いてきたのでそうだ.と答えると,自分は日 本が大好きで小さなころに「大きな栗の木の下で」という歌を覚えたと歌ってくれる.マルタ島から来て6か月こちらにいるらしい.アクトレスだとい われてそういえば美形だと気付く.マルタの観光客の日本人を知っているのと言われる.うれしくなって,彼女に昨夜遅くについて,ビールを買いに行 くところだというとスーパーがあるので教えるからついてきなさいといわれ,素直に従う.やがて大きなショッピングモールにたどり着いて.中を歩き ながらPick&Payという大きなスーパーを探してくれる.わざわざ警備員に聞いたりして.やっとその入り口にたどり着き,彼女はアド レスを教えてくれと言われて,自宅のアドレスを書く.彼女もメールアドレスを教えてくれる.礼を言ってメールするからと言って別れた.そのあと彼 女は盲導犬を連れた人にどーネーションをして,犬の頭をじっとなぜていた.何と心のきれいな人だと感心させられる.彼女にあっただけで今回の旅行 に来てよかったと思う.スーパーでビールを買ったあと,ショッピングモールの前の広場の光景に感動する.あらゆる多様は人がいてみんな幸せそうに している.日本が不必要なまでの安全を確保するために一番失ったもののような気がする.一旦宿に戻るが,再び夕食を買いに同じスーパーに出かけ る.今度はナッツ類のつまみとピザ屋でピザを焼いてもらう.10分で焼けるというので,しばらく待つ間広場の風景を見つめる.ラッパで音楽を鳴ら すバンドや大道芸人など休日の混雑を満喫する.この日はやっとビールにありついて就寝.やはりきっちり4時間で目が醒めるが,何とか6時間ほど眠 る.


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