ザンビア見聞録 5th-14th Aug. 2002    24.Aug.2002記す

 アフリカの大地は紅い.そして空気は限りなく感想している.ルサカ空港からJICAの友人G氏の私宅まで車にのっていく途中の私の素直な感想だった.そして緯度が下がった分,明らかに人々の肌の色は濃くなっている.

5th.Aug.
 早朝ホテルからのmagicBusでヨハネスバーグ空港まで同行してくれたBotswanaのCedrychと,空港で合流したこの朝大阪から香港経由 で着いた友人A氏と3人で空港のラウンジでコーヒーを飲んだあと,Cedrychと別れてG氏への土産のウィスキーを免税店で買い,SA(南アフリカ航 空)62便ルサカ行きの乗客となった.
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ヨハネスからルサカまではほんの2時間のフライト.飛行機も小さく国内線のような感じですが,ちゃんと飲み物と軽い朝食が出ました.コーラとバターピーナッツ.サンドイッチと甘いチョコケーキです. ル サカ国際空港ロビーにて.この国の主産物,銅鉱石のでかい展示があります.石の前に精錬された銅の延べ棒が並べてあるのが写真でわかるでしょうか?銅の国 際価格の値下がりがこの国の経済の疲弊の主原因となっています.この帽子はクルーガー国立公園でG氏の指示に従ってサファリ用に買ったのですが,結局無用 の長物に,−−−.
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G 氏宅,警備の厳重な住居地区の一角にある豪華な邸宅で庭も広い.しかしやはり治安のことを考えるとこういう所に住まざるを得ないらしい.電気はあるがガス はない.しかし240Vなので直ぐに電熱で湯が沸く.ただ,電圧が不安定で電化製品が故障しやすい.G氏はパソコン用に安定化電源をかませていた.また滞 在中にも夜停電はしょっちゅうだった. 家に入ろうとすると早速玄関先にカメレオンがいました.夏休みでザンビアに帰省中(?)のG氏の子供達が面白がってつかまえようとしています.このうち兄(小6)は彼が最初に奥さん連れでここに赴任したとき,設備の良かった隣のジンバブエの病院で生まれたそうです.
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やっと捕まえました.でもこのあと木を登って逃げられてしまいます. さて一服して昼食をいただいたあと,午後からちょうどルサカで開かれているアグリカルチャーフェスティバルの最終日を見学に行きました.地元の方がほとんどで「濃いアフリカ!」に感動しました.写真はトラクターの展示に群がる人々.
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理科教師の支援のための展示ですが,やはり我々からみると貧弱な設備と消耗品が目についてしまいました.綴りがやはり英国風ですよね. この夜,お会いすることになるシニアボランティアの理数科教材開発をされているI氏の手作りの教材展示.ペットボトル浮沈子,クリップモーター,空き缶分光器など.
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場内はいわば幕張メッセのような見本市会場です.一応地元の人にとっては結構な入場料を取るとあって,中にいる人は服装といい靴といい良いものを着た人が大部分.高級なカメラを抱えた人もいます.失礼ながら最初考えていたザンビアのイメージが初日から随分修正されました. 何か催し物をやっている会場が大賑わい.門扉にまで登った彼らの靴に注目.みんな結構いい靴を履いています.この国のステータスはまず服と靴だそうで彼らは少し余裕があると,良い服と靴を買うのだそうです.
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はじめてキャッサバの本物と曳いた粉(次の写真)を見ました. でも地元の人はキャッサバではなくトウモロコシの粉をお湯でねったシマという食べ物が主食です.私は南アで一度食べていましたが適当なソースをかけると結構おいしいものです.
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主食用のとうもろこしの実です. 学校の教科書の展示コーナーでこれは中・高校のものだそうです.やはり学校は旧宗主国イギリスの制度がもとになっています.
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発展途上国ならではの組織です.意味は辞書を引いて考えてみましょう. トラックの展示ですが,ほとんど中古車.手前の車の文字はどこかで見たような.
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隣国のコンゴやモザンビークでは長く内戦が続きました.義足の展示です. HIVに対する啓蒙のコーナー.笑顔で避妊具を渡されかけましたが,No thank youとこちらも笑って断りました.
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古い部族の因習などがまだ大きい影響力を持つのか,女性の権利や地位向上の展示が結構多くありました. G 氏の子供さんを連れて住宅地域内を散歩したとき,境界の壁の際にアフリカ特有の大きなマメの木がありました.壁の上の鉄条網は治安対策の先進国,南アフリ カで開発されたレーザーワイヤーで,切断すると内部の応力が解放されて,大きく跳ねて切断した人間に危害を加えるそうです.こんなもののお世話になる国に 日本はなってほしくないと心から思いました.
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紅い土の国は昆虫まで紅い.何かの死骸に群がる虫. 都 会はあまり先進国と変わらないように見えるのですが,実は通りに面した各店の窓や戸には頑丈な鉄格子が入っています.Bankの前には必ず銃を持った Policeがすわって警戒しています.ただそんなに緊張感はなくPoliceものんびり近所の人達と雑談をしているのですが,−−−.
さてこの日,見本市で,青年協力隊の礼儀正しい若者や会社を退職してSV(シニアボランティア)に加わって土木機械の開発を教えておられるYさんなど輝い ている日本人にお会いした.日本人観光客がほとんど訪れないこの国でこのような形で日本国の看板として活躍されている方々に本当に頭が下がる思いであっ た.友人G君も他国に自分の夢をぶつけた数少ない1人であることに改めて感じ入った.
 この夜は,G君の奥さん手作りの日本食をいただき,今年の4月からSVとして赴任されているIさんを招いて酒宴となった.南アフリカ以来10 日間,日本食から遠ざかっていたので嬉しかった.Iさんから後任の打診をされて私も戸惑いながらも第2の人生をちょっと考えてしまった.おかげでG君と2 時過ぎまで飲んでしまい,明くる日はちょっと頭が重かった.

8th.Aug.
 数日後,G氏の車でカリバ湖(ルワンダ川をダムでせき止めた,世界1の面積を誇る人造湖)に出かけた.まずは途中の風景から 
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ルサカ郊外にさしかかる.このあたり白い石材の発掘と加工をしている.石英のようにも大理石のようにも見える不思議な石である. 至るところに看板があるのはいずこも同じ.しかしこの国がほんの10数年前までキューバなどの支援を受けていた社会主義国だと聞くと驚いてしまう.
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さらに郊外にケミカルプラントの大きな工場.郊外に出るとき,警察による検問が何回かありました.密輸の発見や,ツエツエバエの都市への侵入を防ぐためにするそうで,後者は特にツエツエコントロールと呼ばれています. 村の風景.藁葺きの家が印象的.たしかに貧しい田舎の風景ですが,しかし南アで良くみたスラム街はこの国ではみかけなかったような,−−−.
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山を幾つか越えたところで,ナショナルモニュメントの珪化木の化石産地に立ち寄りました. 「化石の森」と説明があります.150 million yearsで南アでも見かけたKaroo Systemのものだとあります.恐竜の闊歩したジュラ紀のものですね.
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まだ木目も新鮮な珪化木です.こんなのがごろごろしています.思わず持って帰りたくなるのですが,ザンビアは岩石類の国外持ち出しが厳禁で,この国でサンプリングを行うことははなから諦めました. Seasonal sediment layers are evident in highly weatherd rock.と看板にあるのですがこれがそうでしょうか?
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車を止めて見学していたら,早速もの珍しそうに村の子供たちが集まってきました.この子達は結構いい服を着ていました. 途中の村で見かけたとりわけ紅い土です.石灰岩層の風化土のように思えました.

さてそうこうするうちに,G氏はこの国のナショナルモニュメントになっているバオバブの木を見に行こうと言い出しました.
 
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バオバブの木は南アにもあったのですが,アフリカを代表する大変大きくなる木でその樹齢も数百年以上を越える物があると言われます.この時期は冬なので葉が落ちてしまってます. メモを頼りに目指す場所は街道から20km以上入ったところで,道はだんだんひどい状態に.彼の車は4WDのハイラックスなのでまあ大丈夫なのですが.道沿いに大きなバオバブの木が続きます.
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やっと目指す木に到着.結局村で見かけた若者に道案内をたのみようやく見つけました.昔は交易の目印にされた有名な場所だそうです. 車を止めて歩いていこうとすると近くの村人が集まって来ました.
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村の子供たちはご覧のとおり屈託がないのですが,着ているシャツはぼろぼろで穴があいています. 付近はさながらバオバブ銀座.こんなにたくさんのバオバブの木を見たのはアフリカに来て初めてでした.
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案内をしてくれた若者と彼の子供たちとで記念写真.G氏が少しチップをはずみました.彼は偶然自転車で通りかかったところに,道に迷った我々が道を訪ねたので,車に乗り込んで案内を買ってでてくれたのでした. 案 内の彼は若く見えましたがもうこんな子供たちがいたのです.後ろは彼の店です.トウモロコシの粉が入った袋と食料油らしきものが見えます.彼の年を聞くの を忘れてしまいましたが,ザンビアの人々の平均寿命は新生児死亡率の高さやエイズによる大人の死亡が利いて40才くらいだと聞きました.
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元の街道に戻り,ちょっと行ったところで,G氏がビデオ撮影技術を教えている職業学校のスタッフが偶然現場取材しているところに遭遇しました.ごらんのビデオカメラや機材は日本の援助で国営TV局とこの学校くらいにしかない貴重なものだそうです. この場所は郵便局?などがある村の交差点でごらんのように山羊の星干し肉がぶら下げてありました.

さて,このあとちょっとした山越えがあり,そこで大きなトレーラーが車体を外してしまう事故現場に遭遇.大きな車体が道をふさいでいましたが何とか 通り抜けした.復旧に時間のかかるこの国なので,すんでのところで今日の旅がふいになるところでした.このあたりの道はイタリアと中国の援助で作られたと か.イタリアは山に沿って曲がりくねった優美な道を作り,中国は地形に関係なく直線の道路を作りたがるとか.援助して作る道にも個性が表れるのは面白いと 感じました.ルサカの市場ではよく「ニンハオ」と声をかけられるのは道路関連の中国人労働者が多いからかも知れません.さてこの後,世界一の人造湖カリバ 湖が見えてきます.
 
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やっとカリバ湖が見えてきました.湖の向こうはジンバブエです.この人造湖は1958年に注水を始めた世界最大の人造湖(長さ280km,幅40km)ということです.
峠のあたりの道端の露岩.結晶片岩のようにも砂岩のようにも見えました.
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湖畔のレストランで昼食です.プールがあってちょっとぜいたく. メニューで選んだのは例によってフィッシュ&チップスです.魚はこの湖のもののようです.結構値が張るのですがポテトの揚げ方がもうひとつでした.
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子供たちにとウエイターが運んでくれたチョコレートはいかにもまずそうな緑のハッカのキャンディが中に挟まっていました. ついでにレストランのトイレです.気になる外国のトイレですが,今回の旅行でトイレに不自由したことはなかった.ただ南アは基本的に男性便器は極めて高い位置が普通で,背の低い日本人や子供は困ります.身長170cmあまりの私はそんなに苦労しませんでしたが.
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湖岸の片麻岩.白雲母がきらきらと輝き特徴的で微褶曲が美しい. 瀟洒なコテージが点在して,ちょっとしたリゾート地です.湖が国境となり水平線の向こうは最近白人の追出しが始まり情勢が緊迫化しているジンバブエです.
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下校する村の高校生.ちゃんと制服をきています.進学率はそう高くありませんが教科書の程度は日本と同様,大変高度な内容です. さてカリバダムに到着.国境の事務所でG氏がパスポートを預けて通行の許可をもらってました.何せダムサイトの向こう側はジンバブエ領ですから.−−高さ128mのダムが完成して注水を始めた1958年から数年間に地震が増えたということが地震の専門家のこのサイトに書いてある(2005.10.06追記).
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ジンバブエサイドから見たダムの下流ルワンダ川.国境の川ですが意外と小さい.歩いて渡れそうなので警戒が厳しいそうです.カリバ湖のほか,ザンビアの国情についてはJICA派遣のこの方のサイトも詳しいようです.またこのサイトには湖のワニや住血吸虫の話しまであります(2005.10.06追記)
ダムサイトの出水坑に吸い込まれる渦ができていました.G氏は南半球なので右巻きだと頑固に主張してビデオを撮ってましたが,私にはどうみても左巻きに見えました.
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ジンバブエの紋章と筆者.歩いて国境を事実上越えたのはこれが生まれて初めてです.でも入れるのはここまで,ビザがないのでこれ以上は進めません.首都ルサカに比べ1000m程,標高が低いので冬だというのにちょっと暑くなってきました. 再 びダムの堰堤を歩いてザンビア側に帰ります.途中でどこかで見た機械だと思ったら,ダムのちょうど中央部でGPSの測量をしていました.「GPSだよね」 と言うと「そうだ」と嬉しそうに彼が答えてくれました.どうやらダムの変形を測っているようなのですが,彼もあまり詳しく知らないようでした.
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ダムサイトの片麻岩.これがこのあたりの基盤だとするとクラトンを形成する18億年相当のものになるのだがちょっと詳細は不明. 不法入出国防止用に例の南ア開発のレーザー鉄条網が大活躍.
さてこの日,ルサカに帰るころにはとっぷりと日が暮れてしまいました.長距離を運転したG君本当にご苦労さまでした.



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