アフリカの大地は紅い.そして空気は限りなく感想している.ルサカ空港からJICAの友人G氏の私宅まで車にのっていく途中の私の素直な感想だった.そして緯度が下がった分,明らかに人々の肌の色は濃くなっている.
5th.Aug.
早朝ホテルからのmagicBusでヨハネスバーグ空港まで同行してくれたBotswanaのCedrychと,空港で合流したこの朝大阪から香港経由
で着いた友人A氏と3人で空港のラウンジでコーヒーを飲んだあと,Cedrychと別れてG氏への土産のウィスキーを免税店で買い,SA(南アフリカ航
空)62便ルサカ行きの乗客となった.
8th.Aug.
数日後,G氏の車でカリバ湖(ルワンダ川をダムでせき止めた,世界1の面積を誇る人造湖)に出かけた.まずは途中の風景から
さてそうこうするうちに,G氏はこの国のナショナルモニュメントになっているバオバブの木を見に行こうと言い出しました.
さて,このあとちょっとした山越えがあり,そこで大きなトレーラーが車体を外してしまう事故現場に遭遇.大きな車体が道をふさいでいましたが何とか
通り抜けした.復旧に時間のかかるこの国なので,すんでのところで今日の旅がふいになるところでした.このあたりの道はイタリアと中国の援助で作られたと
か.イタリアは山に沿って曲がりくねった優美な道を作り,中国は地形に関係なく直線の道路を作りたがるとか.援助して作る道にも個性が表れるのは面白いと
感じました.ルサカの市場ではよく「ニンハオ」と声をかけられるのは道路関連の中国人労働者が多いからかも知れません.さてこの後,世界一の人造湖カリバ
湖が見えてきます.
やっとカリバ湖が見えてきました.湖の向こうはジンバブエです.この人造湖は1958年に注水を始めた世界最大の人造湖(長さ280km,幅40km)ということです. |
峠のあたりの道端の露岩.結晶片岩のようにも砂岩のようにも見えました. |
湖畔のレストランで昼食です.プールがあってちょっとぜいたく. | メニューで選んだのは例によってフィッシュ&チップスです.魚はこの湖のもののようです.結構値が張るのですがポテトの揚げ方がもうひとつでした. |
子供たちにとウエイターが運んでくれたチョコレートはいかにもまずそうな緑のハッカのキャンディが中に挟まっていました. | ついでにレストランのトイレです.気になる外国のトイレですが,今回の旅行でトイレに不自由したことはなかった.ただ南アは基本的に男性便器は極めて高い位置が普通で,背の低い日本人や子供は困ります.身長170cmあまりの私はそんなに苦労しませんでしたが. |
湖岸の片麻岩.白雲母がきらきらと輝き特徴的で微褶曲が美しい. | 瀟洒なコテージが点在して,ちょっとしたリゾート地です.湖が国境となり水平線の向こうは最近白人の追出しが始まり情勢が緊迫化しているジンバブエです. |
下校する村の高校生.ちゃんと制服をきています.進学率はそう高くありませんが教科書の程度は日本と同様,大変高度な内容です. | さてカリバダムに到着.国境の事務所でG氏がパスポートを預けて通行の許可をもらってました.何せダムサイトの向こう側はジンバブエ領ですから.−−高さ128mのダムが完成して注水を始めた1958年から数年間に地震が増えたということが地震の専門家のこのサイトに書いてある(2005.10.06追記). |
ジンバブエサイドから見たダムの下流ルワンダ川.国境の川ですが意外と小さい.歩いて渡れそうなので警戒が厳しいそうです.カリバ湖のほか,ザンビアの国情についてはJICA派遣のこの方のサイトも詳しいようです.またこのサイトには湖のワニや住血吸虫の話しまであります(2005.10.06追記). |
ダムサイトの出水坑に吸い込まれる渦ができていました.G氏は南半球なので右巻きだと頑固に主張してビデオを撮ってましたが,私にはどうみても左巻きに見えました. |
ジンバブエの紋章と筆者.歩いて国境を事実上越えたのはこれが生まれて初めてです.でも入れるのはここまで,ビザがないのでこれ以上は進めません.首都ルサカに比べ1000m程,標高が低いので冬だというのにちょっと暑くなってきました. | 再 びダムの堰堤を歩いてザンビア側に帰ります.途中でどこかで見た機械だと思ったら,ダムのちょうど中央部でGPSの測量をしていました.「GPSだよね」 と言うと「そうだ」と嬉しそうに彼が答えてくれました.どうやらダムの変形を測っているようなのですが,彼もあまり詳しく知らないようでした. |
ダムサイトの片麻岩.これがこのあたりの基盤だとするとクラトンを形成する18億年相当のものになるのだがちょっと詳細は不明. | 不法入出国防止用に例の南ア開発のレーザー鉄条網が大活躍. |