南アフリカ渡航記 虹の国への学会と地質巡検 09/14 2010新設.03/01 2019追加

宿,学会,Wits大学編その2.
Tswaing Crater1日巡検


学会2日目は,バスで郊外のTswaing Craterまで1日巡検にでかけました.2002年の国際鉱山地質学会の5日間の巡検でも行った場所ですが,わずか8年間で行き帰りの郊外の様子が様変 わりしていました.サッカーW杯を成功裏に開催した,この国の発展ぶりが伺えました.https://en.wikipedia.org/wiki/Tswaing_crater 
クレータはヨハネスブルグの北北東50kmにある首都プレトリアよりさらに北に40kmほど行った郊外にあり,直径1kmあまり.約20万年前の形成だとされる.例によって筆者の友人根本氏(桜美林大学)の写真も使わせてもらっています.

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学会の海外からの参加者はほぼ全員,この1日巡検に参加.朝迎えに来たバスに乗り込むところ.
バスの中のようす.巡検ではできるだけ海外の人と隣同士に座るのが世界を知るための一歩.
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JNB郊外にできた近代的なショッピングセンター.2002年のときはサントン以外にはあまり見かけなかった気がする.
工事中の道路か何か.発展ぶりは工事でわかる.
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しかし昔ながらの鉄格子仕立てのローカルな店も健在.
2002年と何が変わったと言って,この郊外の住宅地.前はスラムか焼き畑の農地だったのに,打って変わって近代的な個人住宅の街になっている.
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と景色に見とれているうちにいつの間にか,クレータの公園の入り口に.
結構な人数で到着.ここでお昼ご飯だったか.
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さて歩いているうちに,見慣れたクレータ湖が見えてきました.
基盤は古い花崗岩のようです.大陸特有の赤く風化が進んだ花崗岩.

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12番というポイントの表示.花崗岩の中に貫入したランプロファイヤーと書いてある.インパクトの前にすでにできていたらしい.
まフィックな火山岩風なものがあったのでこれがそうか.ひん岩,ドレライトなどと違って斑晶が輝石や角閃石だという.
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そばには何か野生動物のフンが落ちていました.
さてクレータ底まで降りてきました.
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あたりの地面には塩が乾燥して残った跡が.これは2002年のときにも水面近くにたくさんありました.
今度は16番というポイント.この井戸は塩水を組み上げるための設備だという説明.
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井戸の囲いが残っていました.
さて,クレータ底から再びクレータ壁の道ぞいに戻りました.クレータをぐるっと一周する遊歩道です.
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参加者が見つめる先に17番のポイント.花崗岩が隕石衝突の影響で壊され,褶曲しオーバーターンしていると説明.
言われてみればそんな気もするが.さて.
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道沿いの花崗岩はたしかに揉めた構造をしている.これは2002年のときも同じ説明を受けた気が.しかしあの時はクレータ底に降りただけで,一周しなかった.
花崗岩が割れた様子.
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続けて3つのポイントの説明板.一番左の8番が,クレータ全体の説明. 真ん中の9番がシューメーカービューポイント.このリムで花崗岩が衝突の衝撃で直立したと書いてある.右の写真のクレータ研究者から名付けられた.一番右 10番は丸い花崗岩が微細な藻類(algae)と菌類(fungi)の共生で風化されていると書いている.
さてあこがれのシューメーカーを湛えた石板と8年ぶりの記念写 真.2002年にも撮った.シューメーカーは宇宙飛行士の試験にパスして訓練も積み,もう少しで月にいくはずが直前の健康診断でひっかかり行けなかった. そののち彼がオーストラリアで隕石孔調査中に交通事故死したあと,友人たちは月に行くロケットに彼の遺灰を載せて,月に送り届けたという感動的な実話が 残っている.
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その衝撃の節理が入った花崗岩.
皆さんが背負っている青いリュックが今回の学会のお土産.
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帰り道に幼稚園?
こちらは素朴ではあるが粗末な地域住民の住まい.新しい街のようだ.
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花崗岩か堆積岩か遠目でちょっと見分けが難しい.
こちらの連なるリッジは明らかに, ウィットウォータースランド超層群の固いクオーツアイトのように思える.2002年にもこのリッジの側を通った記憶が.
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南アフリカの田舎らしい雑然とした風景.
と思うとこつ然と現れる摩天楼のような高層ビル群.
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これは墓地ですね.
宿に送ってもらう途中のJNBの郊外だったと思う.
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学会参加者と記念写真.どこのどんな人だったかもう記憶にない.
これは学会後の巡検で一緒に旅をした米国のM女史.結構この世界では重鎮のようで,複雑系関連の発表をしていた.これは知らなかった.
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近所の酒屋とショッピングセンターへでかけて買ってきたビールとかコーヒーとか.
ある日の朝食.どれもなかなか美味しい.ボリュームもたっぷり.
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学会会場でどこかで見た人だと思ったら.
2002年の鉱山地質学会での巡検の案内者のGavinさんだった.なつかしい.このあとお話をしたがOsakaと覚えていてくれた.再会の感動で一緒に写真を撮るのを忘れてしまい残念.
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Gavin氏の講演はわかりやすかった.
これは学食のランチ.味はまあまあ.安かった記憶が.
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歴史あるWitsの建物.キャンパスも広い.さすがに南アの東大だけはある.
木陰で立っておられるのは数少ない日本からの参加者で当時日本地学教育学会の会長牧野先生.このあと,附高地学部の霞ヶ浦巡検でも案内をしていただいた.
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この建物が,この大学をひときわ有名にしているOrigin Center.アフリカの人類の起源を様々な角度から研究している.博物館としての展示もある.
宿が近くで,いつも同じバスに乗った参加者メンバー.イタリア,ドイツ,ブラジルからのメンバー真ん中の人は記録に残っていない.N氏のネガをいただく.(真ん中の人をすみません,ど忘れしてました.マラウィから来られた高校地学教員のイボンヌさんでした.この学会の常連の一人でした.2021.04/28)
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さて学会に戻ります.
N氏の発表.日本人の発表はそれほど多くなかった.まあ地球の反対側なので.何かの予算がつかないと難しい.私は幸いこの年は科研費をいただいていたので参加できました.
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アフリカ地元の先生の発表.Yes We can! が流行っていた頃です!南アは英語が公用語なのでいいですね.これが熱帯に向かうとご存知のようにフランス語の国が増えます.しかし南アフリカは実は複雑 で,英国の前はオランダが支配していたこともあり,オランダ語を語源とする「アフリカーンス」も白人の間ではよく離されています.白人の英語はややこの訛 りがあります.
久々に学食でいただいたアフリカの地元食.メイズ.とうもろこしのデンプンをふかしてソースをかけて食べます.とても美味しい.私は口に合います.ザンビアで初めて会ったか.
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次の学会がインドに決まったことへの拍手.
ちなみにこの学会の世界の役員は画面の人たち.やがて日本地学教育学会の次の会長になる筑波大の久田先生とはこの学会が初対面だった.久田先生にはその後タイでもお世話になることになる.

これでめでたく第5回国際地学教育学会(GeoSciEdVI)南アフリカ大会は終了.続いて念願の6日間の35〜32億年前の岩石を見るバーバートン巡検に移る.


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