南アフリカ紀行 日記 (旅行中のメモより起こす,2017/11/16 Html化), 2019/03/01公開(明らかな間違いのみ修正)
2010/08/27 19時46分狭山発.稲妻と少し雨が降り出す.暑い日の予想続く.
天下茶屋乗換えは運悪く和歌山行き区急 泉佐野で乗り継ぐ.ほとんど荷物を持つ人もいない.
関空駅すぐの両替(トラベラックス)でランド表示があったので両替.店頭にある900ランドをすべて両替しめて13000円あまり(14.66円).これで当座の現金はまず大丈夫だろう.
あととうとうHartmann御大とN氏からはメールなし.とりあえず4Fまで上がるが,カタールエアーは21時25分からのチェックインということで
待ちながらこれを書く.モバイルのネットワークにつながるが遅く,大学のサイトは切断される.ということで一旦中断.チェックインに向かう.
チェックインはAのカウンタ.まずまずの人が並んでいた.しかし大半は両替のところで目にした親子のように英国(ヨーロッパ)が多い?
カウンタ嬢がジュネーブまでですねというのであわてていえいえヨハネスブルグと訂正.彼女も笑っている.席を通路側に,またドーハからは窓側に取ってもら
う.これドーハからの席を一旦きめていたのを破棄して取り直してくれた.親切.さすがに日本.聞きなおして良かった.これで行きの航空券は2枚とも用意.
荷物はまずカウンタに預けてからたぶんセキュリティを通すのはノルウエイのときと同じ.あたりをうろうろするが店も閉まり出し,セキュリティを通って出
国.遅い時間で係員は1人しかいない.やや無愛想.免税店で聞くとやはり酒を乗り継ぎ便には無理みたい.仕方なくシャトルに乗って先端駅へ.これ以前の
シャトルと逆の北の方向に走るみたい.下車してエスカレータを終わるとすぐに11番ゲート.何か外国の空港のように人もまばらで一見心細い感じ.日本だか
ら安心できるが外国だと何となく不安になりそうな人の少なさ.ゲートの待合も10人ほどか.そうこうするうちに乗務員が制服で到着.また待合でフランス語
が聞こえる.何かもう外国の雰囲気.チェックインカウンタ以来さすがにベールの女性も多い.売店でお茶を買ってネット端末を触っていると意外に早く23時
に搭乗が始まる.乗り込む人数が少ないと思ってたら,機内にたくさんの人が乗っていた.どこかからの経由便なのか?
席は後ろの42D.ラッキーなことに3席の真ん中は空いている.向こうの端は外国人だと思ってたら日本の教授風の人.すぐに夕食が始まり,和風の寿司とあ
んかけご飯.これはなかなか美味しい.ただビールがコップ1杯というのがちょっと残念.隣の「教授」がコップに注がれた白ワインを飲んでいる.これも瓶は
つかない.
一眠りして,腹が張る.トイレに行ってしばらくすると目が冴えてきて,原稿を書くことにする.音楽はもちろんLed Zeppelin
Ⅳ.アルバムが3周りするころには,pptの最初のtalkができてくる.そこで一旦Eagls Hotel
Californiaに換えてこれを記す.すでに機はガンジス河やコルカタを越えインド上空に差し掛かる.偏西風を避けるためか大圏航路ではなく,ヒマラ
ヤの南を大回りしていることがわかる.ときどき結構ゆれてシートランプが点灯.夕食のときもビールのコップが動きそうなほど.全体のサービスは思ったほど
よくない.日本語のアナウンスがなされるのは助かるが,CAは大半が外国人.
地球の回転とは逆に夜の部分を追いかけて飛ぶので外は真っ暗.Ppt原稿をいじっていて日本時間はすでに6時間以上経過して6:23で朝になっている.デカン高原の中央部上空.
6;35 インド中央部,ほぼ全工程の2/3.ホテカルが2回り目.このツインギターソロを飛行機の中で聞くと涙が出そうになる.他の曲があまりにしょぼいので次はZepの5に変更.
7;00 Zepフィジカルグラフィティ,らしさはあるけどはっきりいって駄作.飽きてくる.このあたりは駄作の少ないビートルズとの決定的な差.
7:30 照明が着く.青から赤紫そして青白へとなかなかにくい演出.おしぼりが配られる.BGMは結局Beatlesがなくて
Ikimonogakariにした.これなかなかいい.カラチが近くなる.インドに入ってから北東貿易風なのか対空速度より,対地速度が40kmほど速い
状態が続く.まもなく朝食.と思ったが8:00が近づいてやっと出てきた.現在カラチ上空.いきものがかりなかなか良い.それほど駄作がない.リズミカル
なものもいい.このボーカルの少し舌足らずに歌うテクニックが優れる.今度こそまもなく朝食.
8月28日
14時30分 無事空港到着
飛行機から降りたとたん,搭乗券を見せろといわれる.セキュリティのチェックが厳しい.どうもアジア人だけを標的にしているみたい.Japanを確認し
てOK.中国人は止められていたみたい.またimmigrantに入る通路でも再チェック.Immigrantはothersに並ぶ.列整理の兄ちゃんが
親切.並ぶ列の直前で例のサーモグラフィーでFiver
checkをしている.彼に尋ねるとそうだという.Immigrantの職員はJapanを見たとたん「こんにちは」と声をかけてくれる.印象よし.その
ほかは特に何も聞かれず.ところが税関で荷物を見せろといわれる.これもどうもアジア人だけではないが時折チェックしているみたい.さて出口を出ると前に
見た風景なのだが,何か少し洗練されている.通路と出迎えの間にしきりができている.しかし残念ながら予想したとおり出迎えがいない!仕方なく探している
と,GeoSciEdの紙を持った人がいるのでとりあえず,電話のアクティベートをするまで待っててほしいといい,2階のVodafoneに行くが,どう
も先客が時間がかかっている.あまり待たしたら悪いのでみやげ物屋でチップ用に小さなノートを買って小銭を作る.戻ってきくとどうも違うホテルへの運転手
みたいで仕方なく自分のドライバーを探すがいない.Informationで教えてもらって1階のVodafoneに行くとコンピュータがダウンしている
隣のMTNに行けと教えてくれる.隣のMTNの兄ちゃんが親切ですぐに携帯を使えるようにしてくれた200ランドの通話がついて260ランドとちっとも
ぼっていない.空港の店や案内はみんな親切でほっと胸をなでおろす.この携帯でホテルのオーナー事務所につながる.デボラという女性.運転手が来ていない
ので至急連絡してほしいと告げる.あとこの女性から何度か,また運転手の派遣先からも電話があるが英語の聞き取りが難しくとうを得ない.どうも運転手サイ
ドが出迎えターミナルを間違っていたようだが,結局空港ロビーで2時間近く待たされることになる.ホテルのオーナーに文句を言おうと思っていた矢先やっと
運転手のマネージャーが到着.彼はいいやつだった.そして運転手に引き渡される.駐車場に行くが2002年にはできていなかった駅前の巨大駐車場.様変わ
りしている.彼が駐車料金を払う.ホテルのデボラから絶対に料金は払わないでくれといわれていたのでそのとおりにする.やや寡黙であるがいい運転手であ
る.W杯前後のことをたずねる.忙しかったという.さらにビールを買いたいからどこか店に寄ってくれというと快く引き受けてくれた.光速をかなり走って,
市内で降り,メルビルに向かう.途中店を探してくれるがどこも何か荒廃した感じ.結局ホテル近くのトレンディメルビルとホテルの宣伝に書かれていた一角の
酒屋でビールを缶ばかり5本買う.しめて40ランドあまり.安い.2本を彼に差し上げる.喜んでいた.すぐに宿に到着.Goodleストリートニューで見
ていただけに違和感はない.運転手が指示してスタッフが重いゲートを開けてくれる.黒人女性スタッフが2人.部屋は2階の奥みたいで,運転手の彼が荷物を
運んでくれる.握手をして別れる.すぐに女性スタッフが来て部屋の設備やらかぎの使い方やらを講義してくれる.あとインターネットの用紙をもらう.イン
ターネットは部屋に無線の端末があったのを夜に気づくが電源を入れても電波の強さはさほど変わらない.部屋はとても静かでまた結構豪華.ゴミ箱がないのが
玉に瑕.ここでミス.セキュリティボックスの操作を間違いというか,ほとんどほろ酔い状態で間違った操作をして開かなくなった.パスポートと現金が入って
いて非常にまずい.しかし明日見てもらうしかないので,買ってきたビールを飲んで,日本から持参した小さなインスタントラーメンだけでぼろ布のように眠
る.2時にやはり時差ぼけで予想どおりに目がさめてこれを書く.
このあと,ドーハで買ったスコッチの水割りをあおって眠る.7時に自然に起床.どうもNokiaの目覚ましベルは利いていない?これで睡眠不足は解消.
という間にスタッフが朝食を持ってきてくれて,豪華な朝食.これでまだ注文できる幅の半分くらいなのにもう充分な量.そのときに昨夜の失敗を告げて,昨日
の人を呼んでもらう.朝食を食べかけたときに,彼女が入ってきて早速キャッシュボックスを見てくれる.扉のプラスティック板をはずして専用のキーて開けて
くれた.良かった.これで気が軽くなる.N氏はぼちぼちついている時刻だろうか?
ついでにマウスを買いたいがというと,ショッピングセンターを教えてくれる.歩いても大丈夫とのこと.
このあと,昼食を兼ねて歩いてショッピングセンターまで.グーグルストリートでみたとおりの道.ハイウエイとの交差点もまったく既視感.モールは人でにぎ
わっている.本当に日本のモールとまったく同じ.最初に,コーナンみたいな道具店を覗く.ここでN氏はロストした振動実験の材料を買う.これに結構時間が
かかる.自分は変換プラグを買う.みやげ物屋みたいな所で,ブブゼラを見る.帰りに買おうと思ってたら,閉まっていた.マウスの電気屋も閉まっている.仕
方なくスーパーで買い物.南ア産の表示のものを買う.ポテチなど.ワインはたくさんあるのにビールを売っていない.2軒目のスーパーも同じ.フィッシュア
ンドチップスの店で昼食を買う.ミニサイズがちょうどの大きさか,欲張ってスモールを買ってポテトを残す.帰りは高速沿いに帰るがあっという間に宿につ
く.遅い昼食.途中でパティオに場所を移す.傘を広げる.25度くらいまで上がるということであるが弱い風が心地よい.空気にアフリカのにおいがする.
N氏がシエスタを取る間にシャワーを浴びてしばらくすると16時ちょうどにバスの迎えだと電話.結局5分ほど遅刻でもういちど催促の電話であわてて下に
下りていくと皆が乗ったマイクロバスが宿の前に止まっていて,あわてて乗り込む.バスは3つの宿を回り順に客が乗ってくる.最後の宿で旧知のG氏.とたん
にバスの中がノイジーになる.ほどなくWITSに近いアイスブレーカーのホテルに到着.WITSはとてもきれいな大学である.
入り口のレジストレーションを待つ間,どんどん旧知のメンバーが駆けつける.レジスト時に所属が住所になっていたのを変更してもらう.この間にジュースやシェリーが出てくるのでいただく.1月に霞ヶ浦でお世話になったM先生に出会ったのでお礼を述べる.
中の用意ができたので入るが,バスの中で地元南アの出身の女性がいたので彼女の横に座る.その隣はドイツの学生さんが2人.夕食の間に色々と話す.彼女
は天文関係の専攻で,4-9thグレードの理科の先生を教えているとのこと.しかしその天体に関するミスコンセプションの多さに驚くとのこと.例えば月が
欠けるのは自分の影が写るためとか.これを何とかしたいと語っていた.ドイツの学生さんとは5年前に留学生が来たことなどを話す.夕食はブライもあった
が,メイズ(パフと地元でいうらしい)などの野菜を中心に取り,ベジタリアンになっていた.途中でN氏が3本目のビールを机上に置いたので,結構飲みすぎ
る.知らない間にバスの出発時刻が迫り,あわてて出口に出る.バスが待っている.これで送ってもらう.南アのジモティが治安について話してくれる.そうこ
うするうちに宿に到着.
寝るまでの時間にN氏と話す.英語を小学校で教えたり,デジタル図鑑を作るより,このようなカンファレンスに現役の教員を派遣するような人に金をかける方はるかに大事だというはなし.
11時すぎにスコッチの水割りで就寝.2時半にJetragで起きる.2時間くらいふとんの中でウツラウツラ.4時半ごろに再び眠り,6時すぎに起きる.何とか5時間くらいの睡眠を確保.
8月30日 今
日は7時45分にバスが来るということで,朝食が7時すぎに届く.パンとミルクを忘れているが食べきれない量のオムレツとバナナのクレープ.やっと食べ終
わって片付けが済んだころ時間になり,あわてて宿の前に下りる.バスに乗り昨日夕と同じように今度は大学に向かう.教員用駐車場から歩いてハイウエイをく
ぐり,校舎に入る.バスの中で隣合ったカメルーンからのマスターの学生と話す.英語の大学は1つしか国内にないそうで彼女は英語圏の人間らしい.
あと,インドの古生物学の人と朝のお茶を飲みながら話す.たこの絶滅を調べているとか.アンモナイトの切手を集めているのをポスターにするとか.英語がわかりにくい.
このあと,朝のキーノートセッションが始まる.はっきりいってよくわからない.どうもこの種のpedagologicalな話しは苦手.何か大学のえら
いさんの話しをはさんで3本続く.何か朝の英語の聞き取りだけでも疲れた.昼はキャンパスを少し歩いたところにあるカフェテリアでの昼食.だんだん食欲も
なくなってくる.米とチキンのグラタンみないなのと野菜サラダ.ジュースをもらう.M先生らと食事.
午後は33室を中心にG氏のときだけ37室を覗く.どうも今日のテーマはどれもあまり興味がわかないが発表の練習にもなるので仕方なく英語を聞こうとす
る.しかし細部がなかなか理解できない.G氏の発表に対してある人がI reject this
studyと厳しい意見.この学会ではこの種の言い方は初めて聞いた.
休憩をはさんで何とか17時まで33室を聞く.GPSを使って地質調査の学生の動きを評価する発表(たぶんドイツで自分のあとに発表した人)が興味深
い.17時で外に出る.あまり人がいないので校舎の外の段のところでこれを書く.今日は夜10時までなにやら夕食などがあるらしい.明日1日巡検で早いの
に思いやられる.早く自分の発表を終わってしまいたいところ.結局マウスやら,トレーナーやら買えず.どうも毎日こんな調子になりそう.夕刻で頭上で鳥が
きれいに鳴き交わす.日本では聞かない声.車の音も相変わらず高い.学生の談笑する声など大学らしい風景.とても外務省充分注意の地域の中にある大学とは
思えないおだやかな風景.
何か偉いさん方の会議で先途待たされて,夜,バスに乗せられてどこに行くのかと思ってたら,市内の駅とかややこしそうなところを通ってその裏のあたりのい
かにも治安の悪そうな中にある,科学館に到着.夜なのに中の電気がついていてスタッフがずらり.何か廊下みたいなところに飲み物と食べ物の用意がされてい
ていつもの立食パーティ.早速ビールを飲むが,このところの飽食でつまみのようなクラッカーとチーズ入りのドーナッツみたいなのをつまむのみ.ところがそ
のあと,科学館の展示でしこたま遊ぶ.特にサッカーボールを蹴って得点を稼ぐゲームに熱中.汗はかくは息は上がるはで久しぶりに活躍.21時ころにバスに
再び乗って宿へ.夜のヨハネス中心部もなかなかゴーストタウンめいて,それをバスの窓越しに見るのもなかなか良かった.
宿に帰ってシャワーを浴びても汗が引かない感じでパティオで涼む.おかげでこの日は朝まで良く眠れた.
8月31日(火)
今朝は7時に迎えが来るというので6時に起床して,コーヒーを沸かし古いパンなど食べていたら,6時半ごろに朝食を持ってきてくれてびっくり.そうそう
にそれを食べて,7時の迎えのバスに飛び乗る.一旦大学でティータイム(これ毎日で少々うんざり)のちに行き先別のバスに乗り換え8時半に出発.ヨハネス
からM1をプレトリアにバスは高速を飛ばすといいたいけど渋滞.交通事故だったみたいでそれを過ぎると快適になった.道路沿いはSiemensやHPなど
のIT企業,Hondaなどの自動車のオフィスが立ち並ぶ.プレトリアを過ぎるとすぐにコーツアイトのリッジが東西に立ちあだかる.これを北に2つ越える
と平原が広がる.昔と違ってスラムがなくなり,褐色の新築のニュータウンみたいな区画が目立つ.30km近く走ってクレータの近くになると前のようにスラ
ムが目立ち始める.が,何かどのスラムにも電柱が立っていて電気が届いているみたい.また昔のスラムと異なりトタン板で囲んでカラフルなものまである.時
代は進歩している.ほどなくクレータに到着.途中で立ち寄った博物館みたいな場所の門前でサルが木にいるのに気づく.駐車場でティーブレイク.このあたり
どこまでも英国風.甘いマフィンまでつく.一旦バスで反対側まで行ってそこから半周を歩く.バスの途中でサバンナの中に動物を見る.あとでジラフだと教え
てもらう.2度目のツワイングクレータはやはり静かで落ち着いた場所.リムの斜面を下っていくと底に到着.途中にカルー・ドレライトの脈が入っているけ
ど,案内板と転石しか見れず.水が前より多くsaltは少ししか見えない.底をぐるっとまわり反対側のリムに上がる直前に褶曲やら,揉めた構造が見える.
さらにリムを少し行ったところにあるジーンシューメーカーの板の直前にシュードタキライトがあるのを教えてもらう.これでフィールドは終わり.乾燥してい
て赤い花崗岩の土の粉がズボンに一杯つく.ランチは広場.結局博物館には立ち寄らず.どうも今回の学会はそのあたりの対応がややちぐはぐ.凍った水と
ジュースとサンドイッチ(サーモン)を選択.ゆっくりと時間をかけて食べる.日本人なら半日の行程を1日かけるみたい.帰りはまたプレトリアまで戻り,そ
こからヨハネスへ.しかし大統領官邸には寄らず.スラム街やクオーツアイトのリッジのあたりで多くの写真を撮る.いずれにしても高速も拡張され,インフラ
が見事に整備されつつあるのがよくわかる.スラムの横のあたりの交差点にも石がきれいに飾られていたりする.露店が出ているのは以前と同じ.しかしみんな
バスを見ると手を上げて挨拶をしてくれる.
ヨハネスへは17時前に到着したが,バスは順にホテルに客を降ろし,我々は大学の駐車場で宿にくるタクシーに乗り換え.
9月4日(土)
Dionの車でどんどん東に向かう.しかし渋滞がひどい.どうも高速道の工事で車線が狭くなり,渋滞がひどくなっている.何度か渋滞を潜り抜けるが丁度空
港のあたりを過ぎるまで,動きがにぶい.そしてほどなく見慣れた平原の風景だと思ったら炭田のあるミドルスバーグのあたりになる.両側に炭田が点在するが
南側が多いみたい.そこからさら120kmで高速を飛ばす.かなり走って何か町に到着.メンバーが水や酒を補給.ティーネージャーが大音量の車で到着し.
道で踊り始める.アフリカヤングゼネレーションといったところか.店のおかみがしょうがないなという顔でみている.この村には白人はみない.山がちになっ
たころバーバートンの入り口にさしかかる.ここで一旦,昼食.西部劇の舞台のような食堂で昼食.Dionが大きな地質図を広げて全体の地質を説明.この食
堂メニューはアフリカーンスなのでわかりにくい.パンケーキのチーズを注文するが大きすぎて1/3を残す.再び町を横切り,町外れの舗装のない道路を飛ば
す.やがて小高い山の上の貯水塔のあるところに到着.これ町は水道があるということか.ここで車を降り,あたりの地質を眺める.このあたりがもっともW層
群最下部の地層というがほとんどは絹雲母などをはさむ低変成の結晶片岩のようにも見える.何となく層理面のようなものが見えるので聞いたら,「そうだかな
りの急傾斜の北落ちで向こう側で向斜をはさんで逆になるという説明」.Basaltを採集.フランス人の彼女に取らないのと聞いたら荷持が重くなると答え
られた.あと反対側のほぼ垂直なダイクが村を隔てる稜線を作っていると説明を受ける.なるほど単純な地質である.地質図ではダイクは直線になっている.こ
のあと,スフェニクスクリークに移動.小さなスフェニクス構造露頭の写真を撮る.その少し上流で今度はこれまた有名な枕状溶岩の露頭.Dionが水をかけ
てくれる.ここにスケールを置く.河のほぼ両側に少し距離を置いて露頭がありこれらを写真に収める.地球上最古の海洋地殻の跡ということになる.感慨深
い.帰りに河を探してスフェニクス構造の転石を拾う.
その後少し移動して,今度は村のはずれの道路際.何かと思えばスフェニクス構造の転石がごろごろしている場所でコレクティング.さっきの河の石の結晶の大
きさとは桁が違いこれだけでも来た値打ちがある.このあと,再び村をとおり,最後の露頭ルーフペンダントに向かう.そこは村はずれのこれも,農場の入り口
から舗装のない道をどんどん入っていく.途中3箇所ゲートというか牧場の柵のゲートを開けて通過する.Dionが所有者に断ってきた.牧場の柵に沿って大
分走り,水の流れるクリークのそばで降りる.クリークに露出する岩が黒い玄武岩でその中に無数の白い花崗岩の岩脈が走っている.この模様が面白い.ブーデ
ン模様をDionが教えてくれる.あとその上流の黒の玄武岩の中に縞状に垂直に貫入している花崗岩とのコントラストがすばらしい露頭.まるで8年前のクロ
マイトの層を垂直にしたようなところ.この花崗岩はどうもその周囲の片麻岩の岩体とは違うようで上流でその境界を示してくれた.ただ随行者は違うのじゃな
いかなどと議論している.あたりは丘になっていてアロエがいたるところに自生している.Dionは火事でも死んでいないと感心.自分がコントロールされた
火事かと聞くと違う,大部分は火の不始末(たばこなど)だと言う.彼は結構親切で英語の分かりにくい私に色々と世話を焼いてくれている.
また元通り,柵を4つくらい越えて村の道に戻り,一路宿へ.これがまたかなり遠かった.時刻は7時をまわるあたりか.とっぷりと暮れたところで,宿のゲー
トをくぐる.さらに中を走っていくが最初の門は違ったみたいで別の棟のほうに走る.やっと棟に到着.山小屋風のベッドが3対で計6名収容のところ.自分が
カナダの老人と泊まった部屋はバスルームに扉がなく,プライバシーがまるでないと彼が笑う.
この宿はあとで資料を見ると,「アロエリッジゲストファーム」とある.夕食は最初に間違えた棟に歩いて出かけるが,これがまた分かりにくい道で最初間違え
る.自分のもっていった懐中電灯が役に立つ.夕食はこのファームの夫妻の手作り.犬がキッチンにいる.大型犬でなかなか短い毛並みがいい.
チキンや野菜の上にチーズを敷いて焼いたものを各自四角く切って食べるのがメインディッシュ.ほかに野菜や付け合せなど.携帯で写真に撮る.ビールを2缶飲む.
食事のあと,南十字星をDionにDonald(あくる日名刺をもらう)が聞いたので教えてもらうと自分が考えていたのと同じだった.ケンタウルスα,β
のすぐ下にあるのがよくわかる.ほとんど西天に横倒しになっている.街灯のあかりが若干あるが,さそりから銀河がとてもきれいに見える.とても日本では考
えられないほど田舎の空が暗い.
この日は宿の棟に帰り着いてamarulaという酒をもらう.これがまたなかなか美味しい.相方のカナダ老人が本を読んでいるが,10時ころに就寝.
9月5日(朝6時半頃に起きる).相方のカナダ人が起きるのを見計らって,自分も起床.朝食までまだかなり時間があるので,荷物の整理や散歩をする.鳥がいるので双眼鏡でみる.
朝食は8時ころから.パンやパンケーキが焼けている.ジュースとコーヒーをいただいていると,卵2個,ベーコン,ポテトの朝食が運ばれてくる.白人夫婦の至れりつくせりのサービスがありがたい.
9時ころに出発.スワジランドの方に南下する.山を登る車道に沿ってしばらく走ると最初の露頭Stop1に着く.グリーンストーンベルトと接するトーナライトの露頭.境がよくわからないが,何となく確認.北落ちの傾斜のように記憶する.
次に少し走ってStop2.ここは砂層の中にクロスラミナと泥層で覆われたリップルマークがきれいな露頭.広い露出のほとんどが白い砂岩層とそれを切る
石英脈,また至る所にクロスラミナの断面がきれいにみえる.風化・侵食にさらされ表面は柔らかそうで,とてもプレカンとは思えずわずかに第三紀という印象
の好露頭.
この間に背斜構造を確認.南落ちが北落ちに変わる場所を確認.
次がStop3.は砂岩層の中にバイオマットの黒い縞をはさむ場所.4年前にできたとかで,この黒い縞から化石らしい構造が確認されたとか.みんなサンプリングにいそしむ.
あとバーライトを取る人あり.ベリリウムの鉱石とか.
続いてStop4は赤色チャートがぐしゃぐしゃに褶曲した場所.帰りが日向になるので再度帰りに立寄る.
このあと,再度バーライトの転石のところでサンプリング.重い!
Stop5.はチャートの破片が礫になった珍しい地層.何か侵食谷を埋めているとか.確かにぐしゃぐしゃと破片に変わっている.ついでに縞状鉄鉱層のサンプルを探す.幾つか採集.
Stop6.はチャートのぐしゃぐしゃの好露頭.あと幾つか立ち寄って最後はスワジランドとの国境まで行ってユーターンして,行きにスキップした
Stop4に立ち寄り終了.あとはどんどん山を降りていく.植林された山が印象的.また植林の防火帯まで設定されていてどこか日本の山と似ている場所もあ
るが,山の先端が丸いのがこのあたりの山の特徴.ダイビングの彼がGPSが壊れたと言っている.
帰りにバーバートンの市内をぐるりと回る.古い博物館の建物(ボーア戦争と関係するらしい)や古い鉱山への入り口などを車で回ってくれる.店はみんな日曜で閉まっている.ほどなくゲートを2つくぐって宿に到着.馬が走り回っている.犬も追いかけている.
5時宿に到着.
同室の人に最初に風呂に入ってもらい,待つ間Ronald氏と名刺交換や牧場の馬,沈む夕日を見る.
風呂に入って,というかこのシャワーと風呂.浴びにくいシステム.そこらにお湯がかかる.
6時半から夕食.
肉と黄色いライスと野菜との付け合せなど.南アフリカ風の料理なそうな.なかなか美味しく(ライスは無味なのでドリア風なソースと塩,コショーをかけて
食べる.珍しく腹が減ったのでおかわりする.昼はサンドイッチのランチだった.ハムがはさんであるだけでレタスとチーズは別にもっていってあってこれを自
分で挟むシステム.
今日はインディアンのスー族の名を大学のスポーツクラブがロゴにした件(ファイティングスー)が論争になった話などで盛り上がる.GPSはどこか壊れて調子が悪いらしい.
宿の人に石をつめる箱をもらうがこれが薄いのでとりあえずこれに詰めておく.あとは手持ちとスーツケースに入れるのとで折半.
9時前に宿棟に帰る.ダイビングの写真をみせてもらう.はやばやと同室が寝たあとこれを書く.巡検の記録は明日朝,資料と見比べて要チェック.今宵はこのままでとりあえず充電.
9月6日(月)
昼食の前に立ち寄った,Barbertonの街の雑貨屋で売れ残ったW杯グッズを見る.値段を聞くと高いというが意外と安いので,ホーンとペインティング
がセットになったもの(R35)とFIFAのオフィシャル札のついたバッグ(R110)を買う.結構安い買い物と思う.あとから考えてもう一つバッグを
買ってもよかったかなと反省.とりあえず本格的土産購入作戦の開始.
ゲートから入ってすでに色んな動物に遭遇し,両側のドアを開けて動物ハンティングを楽しんでいた我々の前に一台の車が.よく見るとパトカー.D氏がまずそ
うな顔をしてつぶやく.両側の扉を開けて走るのはもちろん公道では許されていないのは日本もこの国も同じ.早速黒人の若いかしこそうな顔をした警官が出て
きて,動物が飛び込むしあなた方の安全のために扉は閉めて走ってくださいと言っている.F嬢が「私が扉を開けてしまった.ごめんさない」と謝っているが,
どうも許してくれそうになく,グループの入場許可証やD氏の免許証などをチェックされる.やはり反則切符を切られたみたいであとで聞くと,US200ドル
分の罰金とか.このあとみんな少し意気消沈で静かになる,動物も雰囲気を察知したのか現れない.それにしてもバリバリの白人傭兵部隊の隊長みたいな体躯の
D氏に対して,黒人警官の彼が毅然として反則切符を切るあたりはこの国のアパルトヘイトからの様変わりをいわば実感できる.D氏は基本的に黒人のウエイ
ターなどに対してもとても丁寧な言葉遣いで感心する.
9月7日(火)もう火曜日
未明,カナダ人の咳で何度か起きるが,何とか朝まで眠る.5時すぎに起床.今日は朝6時からGame
Viewingの予定.昨日変換プラグを買ったのでこれで充電.携帯にどうもR1080をpaidしたというメールが来ているがこれがよくわからない.ス
パムかも知れないしとりあえずさわらないで置く.必要時以外は切っておくのもよいかと.
チェックアウトするのかどうかがわからないのでとりあえず荷物を少しだけ整理.
6時すぎMorningDriveに出発.やはり荷物を積んでいる.8年前と大違いで昨夜の満点の星が嘘のように掻き曇り曇天で寒い.
東に向けて走る.まもなくすぐにライオン,象のなかなかの行列,ジラフまでみる.幸先よし.
9時すぎに遅い朝食.Tshokwane.極彩色の青い鳥やベルベットMonkeyが置いたままの食器の残飯をあさりにくる.自分はフレンチトースト+
チーズを選ぶ.三角が4枚もあって結構食べ応え.チーズを挟んで食べる.食堂の真ん中に巨大なソーセージツリーがあって,屋根が上でついばむ鳥やベルベッ
トモンキーの落とす木っ端を防いでいる.ときどきどすんとソーセージが降ってきたりする.足を怪我した鳥が必死で残飯を床でついばんでいる.仲間に取られ
ないように早く飲み込めと応援する.やっと飲み込んで向こうに飛んでいった.羽根は大丈夫みたい.生きながらえるのだろうかとこんなところまで来てアフリ
カの鳥の行く末を考える.
10時すぎにLOWER SABIEに出発.バッファローの大群など見る.
11時 Opnendanダム GPS No.54 遠くでImpalaが集団で水を飲むそばに大きなワニがいる.ワニがimpalaを狙っているのだろうか.しかし何事もなく群れは向こうへ行ってしまった.白と黒のきれいな鳥が水辺にいる.名前はわからない.
11時50 分 No.55 展望台 Granite
ジラフを遠望 遠い.
12時20分 No.57 Rinoを視る.
12時25分 木が少なくなってくる.
12時40分 No.58手前でジラフ 5頭がゆうゆうと歩くのを遠望.
このあと次々に動物が現れ,なかなか食事どころに到着しない.
14時すぎにやっと 到着.
キャンプで昼食.青のきれいなのと黄色の鳥がテーブルに来る.
9月6日(火)
6時すぎにMorning Driveに出発.昨夜の満点の星が嘘のように曇天で寒い.8年前と大違い.
今回はすぐにジラフまで見る.象の行列もすごい.
9月8日(水)昨夜夕食終了時に降りだした霧雨がやや本格的に降り続く.木や地面の濡れ具合から,一晩中降っていたはず.しかし雨音はまったくしない.
昨夜の夕食でダイバーの彼がどこかでTickにやられたみたい(sickな状態)という話をしていた.Tick feeverという単語も出ている.どこかでやられてウイルスに感染したかも知らないというような話.やはりBarbertonか.
5時30分起床
未明の3時すぎに目覚めてトイレに行くのに,トイレの電気が点かない.どうもキャンプ全体が停電しているみたいでどこも電気がついていない.しかたなく
トイレにLEDを持ち込む.ラッキーにもまた眠れた.念のため耳栓まで用意したが不要だった.何か足を蚊に咬まれる夢を見る.
6時ころようやく明るくなりはじめ,鳥が啼きだしうるさくなる.小屋の前をインパラの群れや鳥があたりをうろうろしている.
6時半出発.キャンプから東,北,西の順でぐるりと回る.花崗岩の岩体を撮る.霧雨がフロントガラスをぬらす.それでもインパラや朝キリンを見る.特にキリンは堂々と朝飯を食べている.
何かフランス人のフローレンスのバッテリを宿に忘れたかも知れない云々の会話で,宿に帰るのだと思ってたら,行き成りゲートをくぐり,あっという間に一般の場所に出てしまう.入るのに比べてまったくあっけない.一般道を西にひた走り,
9時 レストランと小さなモールの駐車場.レストランWINPY(UKでポピュラーらしい)でメガコーヒーとプレートのトースト+玉子焼き+ベーコン+ソーセージみたいなものを注文.ほかに本屋や布屋などがある.
昼前に展望台に行くが霧(雲)が出て天気の具合が好くないのでとりあえず,ポットホールを先に訪ねる.両側にトランスバールSGのクオーツアイトが展開
し,ゴルジュが深くなかなか迫力がある.この規模のものは初めて見る.地元の小学生の遠足か,滝の上の危ない岩に子供が乗っている.早速先生らしい人が注
意.子供たちは白人も黒人も混じっているが,みんな仲良さそうで屈託がない.そのあと隣接する博物館(無料だがややしょぼい)を見学.訪問簿に漢字で記
載.というかこの旅行.まったくアジア人に会わない.これが今回の最大の特徴.あと駐車場の前のみやげ物屋の屋台でW杯グッズの帽子を見つけ最初2つ結局
3つ買う.値切って全部でR100.最初ひとつR40と言ってたからまあ得な方か.一応オフィシャルな感じはするがコピーものかも知れない.ただものはよ
さそう.自分と娘2人分とする.あと別の店でレターオープナー.これも最初R25と言っていたが,5つでR100に値切る.あと,
朝と同じW杯の帽子をホテルの側の屋台のみやげ物屋から買う.今度は4つでR180まで値切るが仕方なくそれで応じる.あとブブゼラの曲がったのをもって
くるが2つでR80と高すぎるので買わない.これで何とか土産のめぼしがつく.あと,前後して白人女性のショップで変換プラグ(1個R45)を購入.これ
は1台のプラグで最大3個まで使える優れもの.いつになるか知れないが次回(2016年のIGCには少なくとも来るだろう)にはとても役立つはず.実は昨
夜のキャンプで1個買ってあったR15のプラグは小屋のコンセントからはずすのを忘れて提供してしまった.
あと部屋は今回はやっとシングルが与えられて,ずっと同室だったカナダの老J氏の咳にも悩まされなくなった.ダブルベッドで古い英国風の部屋で,なかな
かシックな味わい.バスタブやトイレも上等.今回泊まった宿ではもっとも快適だがあとで分かったのは,少し隣の椅子や水の音が気になる.
シャワーをあびてひげをそり,6時半を少し回ってバーに出かけるともうみんな揃っている.記念写真を撮るところ.F嬢の一眼レフでソファに一列に並んで
記念撮影.このあと撮影が続く.バーでとりあえず生ビールを2杯注文.ノースダコダのD氏がUSに来るときは,アンモナイトの良い産地を案内する.1時間
で10個はいいのが取れる.山の中をキャンプして回ると言ってくれる.彼は日本に来たことがないそうでもし来るときはぜひ連絡くれと言って握手を交わ
す.2杯目を持って,レストランの方へ.レストランも古いシックな作りで,壁に創業当時のPilgram’s
Restの様子のエッチングが飾られている.メニューの形式にも大分なれて,今回は前菜にムール貝のチャウダー,あと主菜に定番のフィッシュ&チップスを
選ぶ.この国はどこまでも英国式なのだ.昨日の昼食で案内のD氏はマクドのような店でサンドイッチもフォークとナイフで切って食べていた.
最後の夜だからといって特別は風もなく,彼らはいつもの調子でどんどんしゃべりこちらは時々相槌を打ったり,話に加わったりの調子.9時半ころ終了し
て,部屋に帰る.今宵は昨夜に続きいつものアマルラパーティはなし.みんな結構早く寝たのか,音がしない.自分は少しこのノートの続きを書いて就寝.
9月9日(木)
とうとう巡検最後の日.朝4時半に目覚めるが,用を足してまた眠り5時半の目覚ましで再び起きる.ようやくNokia端末の仕様にも慣れてきた.朝から
このノートをしたためる.土産がなかば解決したのであとの問題は,荷物の日本までの送付.朝いちで空港に行って郵便局で送る手続きをする必要がある.
荷物を整理して7時半前にホテルの玄関に行くがまだ誰もきていない.ホテルの写真を撮る.定刻にレストランに入るとすでに3人来ていてコーヒーなどを頼
んでいるので同じように座る.Baffeと注文のハイブリッドのシステムみたい.Baffeの方でクロワッサンと英国風のパンというかかたまりみたいなの
を取る.何ていったかな.あとコーヒーをお代わりするときコーヒーメーカーで驚いたのが,象印の日本仕様のもので日本語が書いてあるのに驚く.どこで買っ
たのか?
まもなく出発と行きたいがフローレンスが遅れてくる.荷物の整理に手間取ったみたい.
8時すぎに出発.早速昨日の谷間を目指すが,宿があれだけ晴れていたのに,谷間に雲がかかる最悪の天気.MacMac滝も霧で何も見えそうにないのでパ
ス.南の方の別の滝を2つ見る.いずれも観光地みたいでトイレがあったり,みやげ物屋が出ていたりする風景.最初の方が水量が少なく滝つぼがない.地質は
まるでコピーみたいに同じで下層がチャートとドロマイトの互層.まんなかが不明で上部が硬いコーツアイト.この硬い部分が崖と滝の成因.あとの方は少し地
層が下部が露出するが基本は同じ.地層の互層の方はゆるやかに層内褶曲してる.
このあと11時ころ出発するが晴れてきたので,もう一度ブライスキャニオンを目指すのかと思ったがGPSでもどうもどんどん南を目指している.やはりあきらめたようだ.これだけきわめて残念.運が悪い.今回の旅行の最大の心残り.
旅程の最高地点という2100mの地点で写真を撮り,それからゆるやかに下るあたり,コーツアイトの崖がきれいに連続するのが見れる.これを写真に撮り
ながらDionはhyundaiの車を飛ばす.ふもとの町で昼食.何か田舎町の西部劇に出てきそうな町のつくりは他のSAの田舎と同じ.ブティックやら古
本屋などの並ぶ間にあるpancake屋で昼食.これがまた時間がかかる.待ち時間の間にMargaretに電話.明日6時半の迎えを頼む.そしてまだ電
話が通じるので家に電話.少し遅れぎみのメンバーを待ってやっと出発.彼らは手作りチョコの店でアマルラチョコを作ってもらってたよう.さてここから
Dionの運転の腕の見せ所.田舎道なのにGPSで計測すると136km/h出ている.ところが,途中のガソリンスタンドで大問題.なんと後ろの給油口の
とびらが空かないトラブル.ドライバ片手に車のヒューズボックスを調べるDionとマニュアルと首っ丈のキャシー.彼女がGJ.手動で口が空いて何とか給
油を完了.一時はどうなるかと気をもんだ.ということで今度もどんどん西に進んでやっと高速に乗るあたりから,火力発電所が見えてきてミドルバーグの炭田
地帯.ここではほとんど140kmちかくなる.
ほどなく16時すぎにJNBの入り口.まず空港近くのホテルに泊まるJimをおろす.彼は明日からタンザニアの旅行に出かけるそうだ.そして次にサニー
サイドホテルの3人組を下ろすために一苦労.JNBのディープな街で一方通行地獄に入り苦戦するDion.おかげでとてもディープで猥雑なJNBの別の面
を探検できた.3人を下ろしたあと,メルビルに向かう.最初に2人を下ろし自分が最後になる.
17時を少し回る.忘れずに座席の下のサンプル箱を下ろす.Dionと名刺を交換.
宿には勝手知ったマネージャーが出迎えて,今回は1階の奥の左側.ダブルベッドがあって,客間みたいなソファーもあって広い.さっそく,ショッピングセ
ンターに買出し.ただこのときあわててしまった50ドル紙幣がいまだに行方不明.例のスポーツショップを覗くが残念ながら例のブブゼラはまだ未着.例の
コーナンで,テープを買うついでに,箱を分けてもらう.レジの姉ちゃんが親切で倉庫のわざわざ荷物が入っていた箱の中身を出して,箱をくれる.頑丈そうで
とてもありがたい.テープ代R12を支払っただけ.彼女に感謝.
暮れなずむ道をびくびくしながら帰るが,途中で白人の婦人がレトリバーを散歩させているのに出会う.ここは安心な場所のようだ.であった黒人たちも目が会うとかならずハイと挨拶を交わす.この街がいっそう好きになる.例の店でビールを2本.キャスルラガーとMilkの黒.
帰ってマネージャーに体重計を借りて,荷物の重さを量る.しばらく借りたままにして,夕食前に急いで石のパッキング.最初荷物を本類と石に分けようと思っ
ていたが,結局もらってきた箱で石をメインに詰める.合間にメールチェック.59通も着ていが,碌なものなし.コマチアイトのでかいのをラゲッジの方に戻
す.体重計では13kgくらいか.何とかパッキング.ハンマーとクリノメータを忘れていてこれもあわててパッキング.うまく詰めれた.本をラゲッジに戻す
が,ここで論文のコピーや発表原稿のコピーを捨てる.もう一度印刷できるものは持って帰らない.
あと,N氏のメールに返事を書く.1日分のネット代を払っているのでついでに郵便局の小包の値段を調べるが,large parcelが30kgまでという情報以外はよく分からない.
あとは夕食に残りのバーゲンセール.どんべい&チキンラーメンのミニサイズと柿の種が今宵のディナーとなった.いつものリカーショップで買ったキャッスルラガーと黒のMilkなんとかがお供.あとはネットでニュースなど散見して10時半ごろ眠りにつく.
9月10日(金)5時20分のNokiaコールで起きる.まだかなり眠い.部屋をビデオで撮る.外に庭まであってなかなか広い部屋で快適そのもの.次に南アに来るときは絶対ここに泊まろうと思う.
6時20分にとりあえずR50のネット代を支払いに事務室へ.迎えが来たら電話してくれるらしい.
と思う間に,6時30分きっちりに迎えが来たと電話.重い石の箱を持って出る.黒人ドライバと握手.マネージャーにキーを返す.再会を約す.
ドライバに空港の郵便局で荷物を送る必要があることを告げる.彼と道中色々と話す.駅を通り過ぎて例の科学センターも見える.ここを見学したと彼にとい
う.金曜日の早朝とはいえそれなりに車は多いが,高速はさほど混まず1時間はかからない.これはN氏の情報と同じ.こんなに朝早くから出勤する車が多いの
はこの国の好景気の影響か.それでもドライバの彼はやはりUnemploymentが問題だと言っていた.
4-50分で,空港に到着.駐車場に車を止めるのは到着時と同じ.彼がラゲッジを持ってくれて,自分は車のあたりで,ちょうど探したカートに重い岩石箱
を載せて続く.これは快適.郵便局まで彼が案内してくれた.例にR10をチップに渡し礼をいう.郵便局は以前の小汚さとはうって変わって近代的なカウンタ
で両替屋のように,直接荷物を手渡さず.何か大きな扉の中に荷物を入れるを向こうで預かるシステム.書類も両替屋のカウンターと同じシステムで手渡され
る.これを記入.あと航空便か聞かれてSurfaceと答える.マジックを渡され,荷物にあて先を書けといわれたので,また扉を開けて荷物を受け取り書
く.あとはクレジットカードの支払いができるのがこの8年間の進歩.前はわざわざ銀行でランドキャッシュに両替したのだ.R480あまりで前と比べて少し
高くなった印象か.それでも1万円しないのはこの前の米国と大違い.まああれは航空便だったが.航空便しかなかったのだ.とりあえずこれで一安心.
郵便局の仕事が終わったのでとりあえずチェックイン.ラゲッジを2階にエレベータで上がる.Departureは2階にあるが,エレベータは英国式で2階が1Fで1階はG.ややこしい.
早速チェックイン.Eチケットを見せるが目もくれず,パスポートを要求され,どうも名前でチェックインするみたい.荷物はAll the way to Kansaiと頼む.早く来たので,窓ぎわを頼もうとしたがもうチケットを発券したのでまあいいかとあきらめる.
土産屋をあさるが例のブブゼラはついに見つからず.他のポルトガルやオランダ,スペイン国旗のものは外のスポーツウエアショップで売っていたのだが.何
度かジュエリーを探してうろうろ.結局十字のガーネットのものを白金のチェーンをつけて,10%オフのR2097で買う.店員はまだ未熟でいちいち処理を
聞いていた.チェーンは彼女に選んでもらった2つのうちから選んだが高い方を選ぶ.ドルや円にも換算してもらったがいずれも320ドルとか32000円な
どで,あまり安くなく,一番安いランドでカード決済を選ぶ.9時20分が迫るがまあ大丈夫だろう.他に店員の仕事が遅いAfrican
Giftショップでキーホルダーなど.
9時20分を過ぎてA11ゲートに急ぐとまもなく,搭乗のアナウンス.結構早い.みんな並んでいる列が長いのを見越して,ゲートの側のAfrican Giftに再度急ぐ.
離陸はスムーズに何かあまり加速感もないまま離陸.長い滑走路なのか機体がB777-200LRだからかは不明.翼の上なので陸地の様子がわからない.あまり加速感がないのが今回の特徴.
11時前に機内サービスが始まる.画面のエンターテインメントが故障らしい.さっきアナウンスでWe have a
problemという言葉を聴いてどきっとしたが,このシステムのことらしい.起動のPanasonicのシステムらしく起動イメージからは2002年の
Red Hat Linuxみたい.Please waitのまま.でいまだ動かず.白画面になったがまた消えた.どうも駄目みたい.
おつまみが出たのでビールを頼む.ハイネケンが缶ごと出るのは,行きと違うところ.ラマダンが空けたからか?ちょっと面白いのはおつまみにラーメンのか
けらみたいなのが入っている.朝から何も食べていないのでおつまみがおいしい.今回の席は17Hで通路側.早くチェックインしたので,窓際も考えたがやめ
た.ビール缶にUEFAチャンピオンズリーグの公式スポンサーと表示がある.ビール業界はいずこも同じサッカーが好きらしい.みやげ物屋でTシャツや応援
グッズが安くなっていて助かる.
空港内は昔の面影からは一転.特に到着ロビー付近が様変わりして,昔の暗いなんか薄汚いイメージがまったくなくなって,開放感があり安心感がある.この
国が観光に力を入れ始めているのがよくわかる.みやげ物屋のスタッフも結構フレンドリーで家に帰るのかなどはなしかけてくる.昨日買い物の帰りに出会った
黒人はみんな同様に目が合った瞬間ハイと挨拶してくる.この国のイメージは8年前より何か格段よくなった気がする.学会運営はまあ仕方ないとして.
地溝帯で写真を撮りたいが,何せGPS表示が故障しているので仕方ない.今また再起動をかけている.
結局色々あって,これを書いている途中の12時前にWe applogize---とアナウンス.やはり駄目みたい.ちょうどこれを書くのに良かった.
食事はアラブ風なのかわからないが,ビーフorチキンでチキンライスを選ぶ.なかなか美味しい.赤ワインも頼む.スパゲティとちょっとスパイシーなトマ
トのサラダ.プリンやビスケットまでついている.この食事はなかなかグッド.終わりにちゃんとコーヒーのサービスもついて,CAのサービスもきびきびして
いる.ここでもデルタとは大違い.
食事が終わって一つ空いた隣の窓際の席の若い彼が話しかけてくる.聞くと1年半かけて,パイロットのライセンスを取ったのだと.最初は小さな飛行機から
始めて大きな航空機パイロットになるのだと.ライセンスの手帳を見せてくれる.コングラッチュレーションズと祝ってあげる.とても好青年.彼はインドのム
ンバイから来たのだそうだ.家族は持っているのかと聞くといやまだ19歳だと笑って答える.カタールエアーやエミレーツにアプライしたいが,経験を積んで
からだそうで,まずはインド国内の航空会社に就職するとのこと.皆,彼のようにわかりやすい英語を話してくれると助かるのだが.顔の目の間のおでこに赤い
印をしている.彼は最初中国人かと話かけてきて,日本人と中国人をどうみわけるのだと聞いてきた.目の形が違うけどときどき区別できないこともあるよと答
えてあげる.あと服のセンスも違うと答える.彼はラストサムライを見てとても日本のファンになったそうで,ぜひ日本に行きたいと言っている.パイロットト
レーニングはとても高価だけど両親がお金を出してくれたという.
彼が機長になった飛行機に乗りたいものだと思う.
午後1時をまわって,照明が消え,窓も閉められた.隣の彼は眠っている.ドーハへの道なかば一旦ここでPCを閉じる.
午後4時35分.しばらくうとうとしたあと起きる.あのあと後部の窓に何度か行って,大地溝帯の写真を撮ろうとしたがそれらしい地形が見れたのは一度だ
け.その後はバンダルの塔の続きを読む.人物の関係が2週間もたちリセットされているのでよくわからなくなった.その後,カレーをはさんだナンの巻いたも
のみたいなのが出て端の方は固いがまずまずの味.その後,彼に名刺を渡し,彼の名や住所を手帳に書いてもらう.長い低空飛行の末に着陸.ドーハの夜景は関
空よりもきれい.
7時40分
インドの彼と共に後ろの扉から出て,例のむっとする34℃の暑さのなか,バスに乗り,今回はすぐにアライバルに到着.例によってトランジットの長いセキュ
リティチェックの列に並ぶ.それから混雑した1階を避けて2階の空き席で並んで時間をつぶす.インドでは日常会話はヒンドー語で,学校の授業も理系は英語
だがヒンドの授業もあるとのこと.英語がわからない人も多いとか.意外だった.色々と話ができてよかった.写真も撮ってもらう.さっき免税店を確認した
ら,ちゃんとアマルラを置いていた.南アの空港のR99よりは高いが,US17ドルくらいで,円高なので助かる.重くなるのであとで買う予定.本当にこの
空港は色んな人種の坩堝で面白い.以外と中国系やベトナム系?の顔が多い.ただ日本人に会わない.飛行機では,搭乗時に列に割り込んでどんどん進む中国人
家族がいて,みんな驚く.そのおばはんがバッグから何から例の何とかいうブランド品の山で,このおばはん驚いたことにビジネスクラスにそのまま入って行っ
た.しかし誰が批判できよう.つい30年前の日本人の典型が世界でそう観られていたのかもしれない.
そのあと,これを書いているインターネット専用の小部屋に移動.ついたての中だが,ネットが使える.プラグが特殊な形なのだが,隣で携帯をかけていたア
ラブ人が教えてくれる.アースの穴にペンを突っ込んで広げ,2本のプラグを差し込むがそのままではなかなか電気が通じないので,やや引き出し気味にして電
気が通るようにプラグを少し傾けて現在,うまく充電中.このあと充電完了ではずし,11時ころから椅子でしばらく休憩.土産やも覗くが高くあまり買うもの
がない.
0時近くなって,例のアマルラを2本カードで買う.17USドルなので1500円弱か.ただ表示はカタールドル表示(60ドル)これがいくらになるのかは分からない.荷物が重くなる.
0時20分ボーディングのはずがなぜか0時を過ぎるとどんどんと入っていく.団体の客が移動を始めたので自分もそれに続くことに.例によって,下のバスの待合に降りていくともう満員状態.バスの3台目にようやく乗れる.
バスがついて後ろから乗り込む.席はラッキーなことに2列の窓側で横の席が空席.これで大変楽になった.1時25分に離陸.9時間半のフライトとアナウ
ンス.全日空とのコードシェア便なので日本語のたどたどしいたぶん中国人の男のCAが放送する.ほとんど9割方が日本人か.もう日本に帰ったような気分.
おそるべし日本おばちゃん老人旅行パワー.
離陸後しばらくして夕食.日本食の細いビーフンのようなものが入った焼きそば.なかなか美味しい.遅れてきたドリンクで赤ワインを選ぶ.これを飲んで,
プレミヤレビューを見ている間に眠たくなり,眠る.座席の間のしきりを上げて,横になりかなり楽な体勢で眠る.離陸後6時間半して起きる.あと3時間足ら
ずとなった.パオトウのあたり.乾燥地域の上空を飛ぶ.まだ睡眠時間帯なのでせっかくの景色に窓を開けれないのが残念.長かった旅行が嘘のように日本に近
づいた.
15時すぎ,夕食が始まる.こちらの方がメインの食事みたい.ざるそばやらサーモンの巻き寿司やらで一気に日本風.わさびや醤油,寿司しょうがまでついて
いて至れりつくせり.結局北京北方で万里の長城を探したがわからなかった.黄海に出て現在ソウル南方を東に飛行中.一気に日本が近づいた.この日記もこれ
にて終了とさせていただく.
Copyright (C) 2010-17 Yoshio Okamoto, all rights reserved.