2006年3月末 地震学会の今夏の行事の下見で長野市の善光寺地震跡と松代にある気象庁の地震観測所を訪ねました.その報告です.(拡大写真を追加25th May 2020)

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3月末というのに時ならぬ雪で屋根が白くなった善光寺.
本堂の柱に江戸時代の善光寺地震の被害の跡が残っているというので見てみます.
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回廊の角の柱に何やら傷が見えます.この鐘の位置を覚えておいてください.
宇都宮大学のI先生が指さすのは地震の時に鐘が揺れて落ちるときに削った傷だとか.かなりの勢いだったことがわかります.
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続いて長野市内の交通公園.この盛り土のように見えるのは地震時の断層のずれが表われているとか.
同じくこれはずっと南の方の川中島に渡る途中の民家の横の道が向こう側が隆起した断層のずれの跡だとか.
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さて,その昔武田信玄と上杉謙信が何度も戦った,川中島を横切って,松代群発地震で有名になった,気象庁の精密地震観測室を訪ねました.
ここは太平洋戦争の最末期,大本営と天皇の住まいを移すために立てられた建物です.ここは天皇のご座所とする予定だった部屋です.
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観測所の中はこのように観測の記録用の器械で埋まっています.右の方が案内をしていただいた石川室長です.
皇后のご座所になる予定だった部屋も現在研究用として使っているとか.
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さてそこから,地下の階段を降りてゆくと,
地下の地震計室にたどりつきます.
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ここには歴史的な地震計が多く稼働していました.これは機械式の強震計のようです.左にあるのは振り子が自由振動しないようにゆれを止めるダンパーに使っている銅板と磁石です.
これは授業でも紹介した,ウッドアンダーソン地震計です.南カリフォルニアで最初にマグニチュードを決定する際に持ちいられた標準地震計です.中に光梃子として振れるミラーが吊られています.
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これは電磁式地震計の信号を拡大するためのガルバノメータと呼ばれる一種の電流計のようなものです.やはりミラーが吊るしてあって,それに当たる光りの角度を拡大する仕組みです.
これらの光り梃子で拡大された振動は光りでこの中のドラムに巻かれた印画紙に白い線として記録されます.記録は暗室の中で行なわれるわけです.それを現像して地震記録を取りだします.
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さて,今度は大本営を移す予定だった地下壕に入ってみます.
入り口近くに置いてあったのは,青いケースの超伝導重力計.雲が上空を通過することによる重力の違いまで測れるという凄い器械です.
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さて地下壕はどこまでも深い.
かつて突貫工事に動員された工夫達の落書きが残された壁です.
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一番奥に最新の各種の地震計が配置してあります.
これは歴史的に有名な
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これは壕の最も奥に安置してある100mの伸縮計.ガラス越しに写真を撮りましたが,隣室にさえあまり長いこと入っていると気温変化で観測に支障が出るそうで,早々に退散.こんなブレた写真しか撮れませんでした.
左の伸縮計に用いている石英の管です.高いそうなのですが値段は聞きそびれました.
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壕の全景です.ほぼ南北,東西に山の中心に掘られています.緑で書かれた建物の一番右端が天皇のご座所です.戦争の末期に全軍の指揮を取ろう掘られた壕ですが,使われないまま終戦を迎え,現在はのどかな山の風景となってしまいました. 戦後捨て置かれた,この壕に目をつけた気象庁が最新の地震計を据えて世界で起こる地震の観測を開始した途端,すぐ隣の皆神山の地下を震源とする「松代群発地震」が起こったのは偶然にしてはできすぎた話しです.


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