試験に出ない地学Series 2014年暖秋 番外編 私の「ミラクルインディア」紀行(これは試験には出していなかった?)
インドには
どうしても行かなければならなかった.大陸移動前のゴンドワナ大陸の破片と,恐竜を絶滅させた主原因と「火山論者」が唱えるデカン高原の洪水玄武岩を見る
までは死ねないと思っていた.もとより様々な都市伝説は流布していた.3日滞在すると腹を壊す.電車は屋根まで満員.人を見ると嘘つきと思え.などなど.
そのほとんどは当然伝説に過ぎなかった.しかし,この目で見なければ解らなかったものも多い.旅行前の会議ビザ取得のための格闘をやっと終えて,静かに始まった2週間の旅行はまさに「ミラクルインディア」そのものであった.インドから帰ってきて,誰もに「インドどうだった?」と聞かれた.私は「日本にないものがすべてある」「日本が見失ったものがまだ残っている」と答えることにした.
学会3日目,ゴンドワナ大陸の破片の上に広がるハイデラバード市外の花崗岩の地質基盤を訪ねる1日巡検に出た.25億年の時を刻むピンク色の巨晶花崗岩やそれに貫入されたより塩基性の黒いゼノリス(捕獲岩)の構造に感激しながら,デラックスバスで帰途についた.休憩に立ち寄ったレストランとかで地元の人たちに囲まれて一緒に写真を撮られることが多くなる.外国人観光客がまだ珍しい国なのだ.帰りのバスで隣り合った学会ボランティアの男子大学院生に,1時間滔々と人生に関する哲学的自説をインド英語で説かれる.思想と宗教はこの国の血であり肉である.とその時感じた.ホテルに近い新市街には,マイクロソフトのインド法人の巨大な四角いビルと広大な敷地.ゲートの数は優に4つを数えた.別名ITバードの整備された道路を車とリキシャと単車と人が行き交う.しかしこの日までは大学と5つ星ホテルの往復がほとんどで,それほどカルチャーショックを感じていなかった.
学会最終日,半日観光ということで,小さなバスで市のはずれの古い由緒ある城のような砦(Fort)を訪ねたあと,狭い旧市街を巡った.交差点にあらゆる方向から車がリキシャが単車が人が,そして犬や時には牛が迫ってくる.バスの警笛は鳴りっぱなし.見ればバスの扉も開きっぱなし.信号のない交差点に殺到する交通がしかしなぜか,混沌としたままうまく流れていく.
Too
many people. Too much
traffic-----.しばらく声をのんで交通の行く末をみていて,ふと気づいたことがあった.混沌のなかに流れる不可思議なルール.これと同じものをどこかで読んだことがあった.複雑系の本に書かれていた『自己組織化臨界現象』.私がハイデラバード旧市街でみた交通はまさにこの典型例だった.個々のエージェントは近隣との簡単なルールのみで動きを決定する.しかし全体として,中央制御なしでもシステムの秩序は自発的,かつ低エネルギーで保たれる.私の頭のなかにすでにこの交通システムを計算機で再現するシナリオができ始めていた.
市内に戻るバスはさらに平日午後の旧市街の隘路を警笛とともに巡る.次第にヒジャブや黒いグルカの女性が増えてくる.男は白服白帽が目立ち始める.紛れもなくムスリム地区のまっただ中.これがインドであることを忘れそうな界隈.BEEF
SHOPの看板を見つけ瞠目.目的の市中心部の4本の塔を巡るときには,コーランを朗詠するサイレンのような音楽があたりの夕暮れに溶け込み始めた.帰りのバスは再び喧騒とした市街を駅に向う.バスの窓にバイク,電化製品,服飾,工具,食器,金属材料,日用雑貨---無限軌道のように,次から次へと物を売る店が続いている.こんな規模の大きな商店街を私は見たことがない.Too
many shops.
この街にはショッピングモールがほとんどない.対面販売の店ばかりで値札がないので,観光客は買い物に困るようにできている.
最後の5日間,待望のデカン高原の地質巡検に出かけた.英国,米国,イタリア,ドイツ,ブラジル,そして日本の計10名.まず夜行寝台列車で西北へ10時間.駅のプラットホームにはおきまりの犬まで歩いている.マイクロバスで出かけたのは,3世紀以来数百年にわたり山中に築かれ,そして放置された『エローラ石窟寺院』.洪水玄武岩の溶岩流を切り出して見事な洞窟寺院が刻まれている世界遺産.卑弥呼の時代の古代インドの芸術的な建築に目を瞠る.仏教,ヒンズー教,ジャイナ教と狭い空間に多様な宗教遺産が共存している.まさに多様なインド史の見本市のような所.玄武岩に刻まれた在りし日のラーマーヤナの碑文と神々しいシバ神の像に,ここはひょっとするとあの世なのかとほほを思わずつねるような感覚に陥った.
デカン高原の中心部,溶岩流の丘にずらりと風力発電の風車が並び,近くでは田舎の街のたたずまいがずっと続く. Too
many people.
祭りの格好をした老若男女が楽しそうに集う.道路際の随所に水道工事用の大きな土管が放り出されている.あの「どらえもんとのび太」の仲間たちが1970年代を遊んだ公園に必ず置いてあった土管だ.日本で最近みないと思ってたらちゃんとインドに置いてあった.
デカン高原の一番重要な溶岩流の露頭で撮った私の写真は,わざわざ高い1眼レフと超広角レンズを持っていったのにほとんど使い物にならなかった.精緻な日本の技術者がISO=12800というおよそ日常生活では使わない高性能な機能を盛り込んだために,勝手に設定を替えた高級カメラはザラザラの1000円で買えるカメラ以下の画像しか残さないただの箱になり果てた.iPhoneが売れて日本のデジカメがなぜ売れないか今度こそよくわかった.
巡検最終日,案内者の女性地質学者がここをぜひ見せたいと1000mの
標高差でアラビア湾に屹立するデカン高原の西の端の崖に案内してくれた.残念ながら雨季の最後に計ったようにこの場所でだけ強い雨に見舞われた.雲がなけ
れば素晴らしい崖の展望がここから見えるのにと,彼女はまるで自分が悪いかのように落ち込んで申し訳ないと謝った.いえいえ,これでもう一度インドに戻って来なければいけない理由ができましたよ,と私はふとほほ笑んだ.その後バスは渋滞で遅れた時間を取り戻すために,無事に帰れたのが不思議なくらいのクレージーな運転で我々を駅まで届けた.夜行寝台列車はまた歩くような速度でハイデラバードに向け出発した.
帰国便に乗る空港でもひと悶着あった.30kgぎりぎりまで岩石サンプルとハンマー,さらには手作りの電子回路までを詰めた私のバゲッジが空港のセキュリティで疑われた.係員に呼ばれて空港の待合フロアからエレベータで立ち入り制限エリアに直行.バゲッジを開けて説明し疑念を解いた.責任者が疑ってすまなかったと右手を差し出して握手を求めた.パキスタンと戦争状態の国だったことをその時思い出した.
シーユー・ミラクルインディア!
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に来たときにもまた単車の4人乗りに出くわすのだろうか?わずか千円ほどのチップで感動してわざわざみんなをバスで自分の粗末な家まで運んで家族と合わせ
てくれた,子供2人を育てるガイドの若者は元気にしているだろうか?そして食べても食べてもまた新しいメニューが出てくるカリー天国の食事はまだ永遠に続
くのだろうか-----.(この稿続く)
われは一切万物を遍歴せり,張られたる天則の糸を見んがために.そこにおいて神々は不死に到達し,共通の母胎に向かいて立ち上がりたり.-------岩波文庫「アタルヴァ・ヴェーダ賛歌」ヴェーナ(見者)の歌より
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